2021年6月17日(木)
世界遺産・金閣寺総門
この日は比較的涼しく、訪れる人も少なくて、とっても静か。
おそらく室町期の足利義満も、こうした落ち着いた雰囲気のなかで過ごしていたことでしょう。
聴こえてくるホトトギスの鳴き声があまりにも素敵で、お寺がBGMを流しているのかと思ったら、なんと、本物でした。
金閣寺前の交差点からは、左大文字がよく見えます。
今年は五山の送り火に行けるといいな。
ワクチン普及で、コロナ禍が落ち着きますように。
舟形の一文字蹲踞。
金閣寺には、趣向を凝らした蹲踞がいくつかあります。
こちらもそのひとつ。
黄鐘調の鐘として知られる「ラ」音を基準音にしているとのこと。
どんな音がするのだろう?
禅宗様式の庫裏。
明応・文亀年間(1492~1504年)建造。
勇壮な屋根の姿が流麗でエレガントな建築物。
庫裏の鬼瓦。
バッファローの角のようなものが頭についた威嚇的な表情。
邪気を払う強いパワーを感じます。
わぁ~、見えてきた! 金閣寺だ!
金ピカすぎて敬遠していたけれど、やっぱりすごいなあ!
思わず息をするのも忘れるくらい、圧倒的な造形の力と美しさ!
一層は「寝殿造」、二層は「武家造」、三層は「禅宗仏殿造」で、それぞれ法水院、潮音洞、究竟頂と呼ばれます。
異なる様式でつくられた各層を、これほどまで見事に調和させるなんて……室町期の卓越した美意識とデザイン感覚に脱帽。
こういうのを観ると、現在の日本の文化・芸術の衰退を感じてしまう。
経済力・国力の衰えとともに、文化・芸術の傾向も安易でチープなものに偏りがちに思えてしまうのです。
残念ながら。
堂内には入れないので、外から内部をズームアップ。
一層の「法水院」には、宝冠釈迦如来像と足利義満坐像が安置されています。
堂々たる姿だけど、どこかユーモラス。
鏡湖池に浮かぶ葦原島などの島々。
手前の島は亀島かな?
湖面に金色の舎利殿が映り、借景や島々と調和したピクチャレスクな崇高美。
ずうっと観ていたい。
立ち去り難い……。
昭和の時代に、青年僧が放火した理由もなんとなく分かるような気がする。
美に対する所有欲。
完璧なものに対する破壊の衝動。
そうしたものを掻き立てるような完全無比な美しさがある。
鏡湖池に突き出た漱清(そうせい)。
釣り糸を垂らすための釣殿で、船着き場も兼ねています
きっと将軍義満は、ここで夕涼みをしたのでしょう。
せせらぎの音が聞こえるように、池のほとりに小さな段差が設けられ、清流が爽やかに流れていました。
京都三松のひとつで、義満の手植えと伝わる「陸舟の松」。
金閣寺には「舟」や「釣り」にまつわるモチーフがちりばめられています。
勘合貿易を始めた将軍だけに、きっと舟が好きだったんですね。
榊雲(しんうん)
庭内の一角、金閣の北に、当山鎮守春日明神を祀った古廟榊雲(シンウン)があります。
現在の金閣寺の建つ地は、もとは西園寺家が建てた西園寺という寺院と山荘があった場所。
春日大権現は、藤原氏とつながる西園寺氏が崇拝していた神さまなので、いまでも境内に祀られています。
義満がお茶の水に使ったとされる銀河泉。
岩肌を伝って滾々と湧き出る石清水。
手前の小さな石橋が「虎渓橋」。
能《三笑》でも扱われた中国の故事「虎渓三笑」にちなんだ橋です。
「虎渓三笑」とは、廬山に住む慧遠法師が訪問客の陶淵明と陸修静を送る際、話に夢中になって、常日ごろ渡るのを避けていた虎渓を渡ってしまい、三人で大笑いしたという故事。
ここ北山で過ごす時間は、この「虎渓三笑」のように夢のように過ぎていくという見立てなのでしょう。
画像では分かりにくいですが、石段の両側の竹垣は左右で編み方が異なり、「金閣寺垣」と呼ばれています。
細部までこだわった凝ったつくりですね。
龍門滝。
こちらも中国の故事「登龍門」にちなんで、滝を登って龍となる鯉に見立てた鯉魚石が滝の下に置かれています。
ウロコのあたりが緑色に苔むしていて、風情があります。
西園寺時代の遺跡でもある安民沢。
池の中央には「白蛇塚」と呼ばれる五輪の石塔が立っています。
おそらく古代の水神信仰の名残りなのでしょう。
春日明神を祀った榊雲といい、土着の信仰が残された金閣寺の「裏の顔」も魅力です。
江戸初期に、修学院離宮を造営した後水尾上皇のために、当時の金閣寺住職が金森宗和につくらせた宗和好みの茶室「夕佳亭」。
丸窓と三角窓の意匠が、ポップでモダンな江戸初期らしいデザイン。
夕佳亭にある足利義政遺愛の富士形手水鉢。
三角形の富士山の頂上には水をたたえた噴口も。
とても洒落ていて、遊び心がありますね。