古典の日フォーラム2021

2021年11月1日(月) 京都劇場

ネット配信ではない、生の観劇は、コロナ禍が始まってからこの日が初めて。
「政治は結果」と言うけれど、衆院選自民党が勝利した翌日、政府与党がコロナ感染を抑え込んだ成果を身をもって体感した。

着物を着て、劇場で古典芸能を楽しむ。演者の息遣いを感じる。このささやかな幸せのありがたさ。

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この日のプログラムは、以下の通り。

第1部
(1)画音交響「横山大観 ~生々流転~」
  曲目 ロッシーニ 弦楽ソナタ第2番イ長調
  船岡陽子ヴィルトゥオージデルカント

(2)講演「西行・長明・定家の見た源平の争乱」

  浅見和彦(成蹊大学名誉教授)

第2部
(3)転換期に読む『平家物語』~能楽と語りとともに~
  コーディネーター 安田登(能楽師
  Ⅰ.解説と朗読  安田登 × 琵琶演奏 塩高和之
  
(4)半能「忠度」 シテ金剛龍謹(能楽金剛流若宗家)
  笛 左鴻泰弘 小鼓 曽和鼓堂 大鼓 河村大
  後見 豊嶋幸洋
  地謡 種田道一 宇高竜成 山田伊純 惣明貞助


第1部の画音交響は、背後のスクリーンに横山大観の《生々流転》が映し出され、40mの長大な巻物が展開するのに合わせて、ロッシーニの弦楽ソナタが奏でられる。

川に立ち込める湿った大気から一滴のしずくが生まれ、それが小さな流れとなり、その流れが集まって谷間を流れ、人々の暮らしを豊かに潤しながら大河となり、大海へと注がれる。大海原には暗雲が渦巻き、そこから現れた龍が天高く昇っていく。やがて昇龍は水蒸気となって、ふたたび水に還っていく。水の循環を描いた《生々流転》は、壮大な宇宙的輪廻の物語だ。

横山大観の世界とロッシーニが合うかと言えば、私にはちょっとミスマッチに思えたが、チェロやヴァイオリンの音色は美しく、劇場で聴く音楽をゆったりと味わえた。



この日、いちばん感動したのが、第2部の琵琶の演奏だ。
平家物語』冒頭「祇園精舎の鐘の声……」の琵琶はテレビやCDなどでは聴いたことがあるが、やはり生演奏で聴くと、ぜんぜん違う!

あのビオ~~ン、ボロ~~ンという独特の弦の震えが、平家の亡霊のむせび泣きのよう。
生々しく、おどろおどろしい数多の亡霊の情感そのもの、魂の震え、怨念の震えそのもののように聴こえてくる。

最後の「風の前の塵に同じ……」で、奏者がバチで弦をこすってヒューッと吹き抜ける一陣の風を表わすと、無数の亡霊たちの気配さえ感じられた。

登場人物たちの情念と物語の効果音を同時に表現する、じつに豊かな楽器である。
この日使われたのは薩摩琵琶のなかでも大正末期につくられた錦琵琶という比較的新しい琵琶だそうだが、この古典的な楽器の魅力に目覚めた、なんとも嬉しい体験だった。


解説と朗読を担当した安田登さんは、Eテレ「100分de名著」の『平家物語』の時に解説者としてご出演されていた能楽師ワキ方)さんだ。

東京に住んでいたころ、安田登さんが広尾で主宰する「寺子屋」に参加したことがある。
私が参加した時は、幻想文学アンソロジスト東雅夫さんと能楽の「鬼」をテーマに語り合う、とてもエキサイティングな対談だった。そのころから安田登はお話のうまい方だったが、テレビ出演や海外公演など多彩な活動を経て、さらにパワーアップされ、この日も大いに会場を沸かせていた。

ただひとつ、「今は変革の時だから!」というフレーズを何度も繰り返すなど、言動の端々に独特の「臭み」があるのが気になった。
→私のなかの「妖怪アンテナ」がビビッと立った。

(あとで安田登氏のツイッターの投降をチェックしてみたら、やっぱり、〇〇〇らしく、総選挙の惨敗を嘆いていらっしゃった。古典芸能の関係者に左寄りの方が多いのはなぜなのだろう?)



お能を拝見するのは、一昨年の2月ぶり。
金剛流若宗家による能《忠度》はとにかく懐かしかった。
お囃子に関しては、以前聴いていたころよりも、大小鼓の呼吸が微妙に合っていない気がしたが、舞台の数が減ったからだろうか……。



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京都劇場のロビーから見えた京都タワー
レトロな形が秋空に映えて、シュッと立つ姿が清々しい。