アジアの女神たち~龍谷ミュージアム秋季特別展

2021年11月17日(水)

龍谷ミュージアムを訪れるのははじめて。
JR京都駅から徒歩12分という好立地で、この時期でも予約なしで鑑賞できるのはありがたい。
秋季特別展「アジアの女神たち」はそれほど期待していたわけではなかったが、思った以上に見応えがあり、気がついたら閉館間際になっていた。もっと時間に余裕をもって行くべきだった。

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コーナーごとのメモを以下にまとめると;

第1章 太古の地母神とその末裔
〇シリアの女性土偶像(紀元前5500年ごろ)は、日本の縄文時代土偶と同様に、胸や臀部のふくらみが強調され、豊満な女性像として表現されていた。両腕で乳房を捧げ持つようなポーズは「豊穣」の象徴だったという。


女性らしい肉体こそが子孫繁栄のシンボルであり、信仰の対象となった時代。
古今東西、人々が「女性らしさ」に対して畏敬の念を抱き、大いなる魅力を感じてきたからこそ、今日まで人類は「種」として継続し、繁栄してきたのだろう。


今日の行き過ぎたジェンダーフリーのように、「女性らしさ」「男性らしさ」を抑圧し、性差の区別を取り払う方向に社会がどんどん向かえば、少子化が進み、人類という生命種が衰退していくのは当然の帰結といえる。
太古の人々は物事の本質をきちんと理解していた。自滅に向かう現代人を見て、われわれのご先祖様はどう思うだろうか?


そのほか興味深かったのが、中国の地理書『山海経』に描かれた「女媧」と「西王母」。

古代中国神話で人類を創造したとされる女媧は人面蛇体の女神で、同じく人首蛇体の男神・伏羲(ふぎ)と男女ペアで描かれることも多い。


西王母は、中国古代の図像では蓬髪で眼や歯を剥きだした鬼神のように描写されていたが、時代を経るごとに温和でふくよかな女神像へと変化していった。

このような「狂暴な女神」から「慈悲深い女神」への変化は、あとのコーナーに登場する鬼子母神などの女神にも見ることができる。




第2章 インドの地母神からヤクシーへ
女神ヤクシー(ヤクシニー)は、男神ヤクシャと対をなすインドの鬼神で、日本語では「夜叉」として知られている。

インドのヤクシーの図像では、片手をあげて両足を交叉させる「シャーラバンジガー」というセクシーなポーズが特徴的だ。体つきもインドの女神らしく「ボンキュッボン」の肉体美。性的エネルギーと生命力を崇拝するインドならではの表現である。




第3章 インドの女神たちと仏教
この章では、インドから日本へ伝来した女神が仏教に取り入られていく様子がテーマとなっていた。

たとえば、インドの女神ハーリーティー
八大夜叉の妻だったハーリーティーは500人の子を産み育てる一方で、人間の子を取って食う鬼だった。お釈迦様が彼女を教え諭すために、ハーリーティーの最愛の子を隠したところ、子を失うことの悲しみを悟ったハーリーティーは、子どもと安産の守り神となったという。

ハーリーティーは日本に伝わり、鬼子母神(訶梨帝母)として信仰された。

平安時代の訶梨帝母坐像(重文)は東大寺の食堂(じきどう)に安置されているが、これは、インドでもハーリーティー像を食堂に安置する風習があることからきているという。東大寺の訶梨帝母坐像は、慈愛に満ちた穏やかで素朴な女神像だった。


いっぽう、江戸時代の訶梨帝母立像は、子どもを抱く母子像だが、その顔は歯を剥きだした鬼形相で表現され、仏に帰依した女神の奥底に潜む禍々しい本性が示されている。
存在の影の部分を描き出すところが江戸時代らしくて、面白い。




第4章 『デーヴィー・マーハートミヤ』と大女神
『デーヴィー・マーハートミヤ』とは、ヒンドゥー神話に登場する「破壊の女神ドゥルガー」の栄光をつづった書物のこと。
タイトルとは裏腹にドゥルガーの像は数点しかなかった。
代わりに、インドの芸術の女神サラスヴァティーと、それが日本に伝わって信仰された弁財天、さらには弁財天と宇賀神が集合した宇賀弁財天が多く展示されていた。


宇賀弁財天は、八臂の腕に剣や弓矢などの武具をもち、頭にとぐろを巻いた蛇身の宇賀神を載せた異形の女神である。
展示されていた竹生島宝厳寺にある弁財天坐像がその代表例で、鋭い宝剣を突き立てた勇ましい姿をしているが、ふくよかなお顔は柔和な母性を感じさせる。


インドの戦いの女神カーリーの眷属女鬼ダーキニーが日本に伝来して信仰された荼枳尼天も、宇賀神と習合した姿で描かれることが多い。

たとえば、展示作品の一つ、京都の真正極楽寺に伝わる仏画荼枳尼天像」(室町時代)には、頭にとぐろを巻いた宇賀神を戴く荼枳尼天が、白狐に乗る姿が描かれている。

荼枳尼天がキツネに乗って描かれるのは、屍肉を食うと信じられてきたキツネが、人肉を食らう荼枳尼天と結びつき、そのことが稲荷信仰と習合するきっかけとなったからである。
さらに、稲荷信仰の稲作に欠かせない「水」との関係で、水神である宇賀神とも習合し、かくして「頭にとぐろを巻いた宇賀神を戴く荼枳尼天が白狐に乗る姿」が描かれるようになったと考えられる。




第5章 観音になった女神━━性を超えた聖
ガンダーラやインドでは菩薩は口ひげを生やした男性として表現されたが、菩薩信仰が中国に渡ると白衣観音のような白いヴェールをかぶった女性的な図像が描かれるようになった。

さらに中国福建省周辺で航海の守護神として信仰された媽祖像が、観音像の女性化を促したとされる。
道明寺天満宮の媽祖像は、中国風の装束に身を包んだ女性が唐風の椅子に座った女神像で、おそらく航海の無事を祈るために唐船に祀られていたと想像される。

他にも、隠れキリシタンが信仰した白磁マリア観音像(明・清朝福建省で焼かれたもの)などが展示されていた。
長崎のキリシタンたちが出島の中国商人から手に入れたものだろうか? 命がけの切実な信仰心が染みついていたマリア像だ。


優しく、恐ろしく、神々しい女神たちはどれも魅力的で、数時間の滞在時間では消化しきれない。もっとじっくり鑑賞したかった。


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心地よい空間の美術館の中庭