秋の嵐山

2021年11月25日

久しぶりの嵐山。
やっぱり京都の紅葉は「きれい」のグレードが違う。

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宝厳院の夜間拝観(紅葉のライトアップ)目当てで行ったので、すでに夕方近くで日差しも少なかったけれど、赤、黄、緑のグラデーションがなんともいえない色合い。




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天龍寺も拝観受付が終了していたので、夢窓礎石の庭園には入れず。





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天龍寺庫裏




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達磨図




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観光客もだいぶ戻ってきて、かなり多い。

それは良いとして、ちょっと気になったのが、中国語や韓国語が飛び交っていたこと。

今月から入国制限の見直しがされるとは聞いていたけれど、それでも「原則日本人の帰国者及び外国人の再入国者に加えて、商用・就労目的の短期間(3か月以下)の滞在者及び緩和が必要な事情があると業所管省庁に認められた長期間の滞在者」に限られるはずでは?
中国語や韓国語を話しながら、レンタル着物を着て観光を楽しんでいる人々は、もとから日本に住んでいた方々なのだろうか?

なし崩し的な水際対策緩和や外国人就労無期限化(永住化)など、岸田政権になってから政治の暴走が止まらず、自分のなかで政治不信が高まっていて、ついナーバスになってしまう……。





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高円宮お手植えのしだれ桜「夢窓櫻」


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紅葉


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等観院

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菩薩様

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来福門


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案内板にあるような周恩来記念碑は見つけることができなかったが、調べてみると、1978年の日中平和友好条約調印を記念して、周恩来元首相の功績をたたえる「雨中嵐山」詩碑(周恩来総理記念詩碑)が建立されたのだそうだ。

日本国際貿易促進協会京都総局」の開設によれば、

周恩来は1917年(大正6年)9月から1919年(大正8年)4月にかけて日本に留学し、ことに最後の半年余は京都の友人宅に寄宿していた。
当時、京都大学経済学部にはマルクス主義の紹介と普及に大きな役割を果した河上肇教授が在職していたが、周恩来青年は河上の著作を愛読し、その影響を受けたと言われる。
 経済学部選科(選科は今日の聴講生のごときもので、入学手続きも簡便だった)への願書も河上の講義を聴こうとして提出したのであろうが、実際には入学しなかったと言われる。
 「雨中嵐山」の詩は、帰国を前に嵐山を訪れて作ったもので、その頃としてはきわめて斬新斬な新体詩(口語詩)であることは、彼が当時の文学革命運動(文語による旧文学に反対し、言文一致の国民文学を樹立しようとした運動)の先端的な実践者であったことの証左でもある」とのこと。


周恩来のような良識のある穏健派が中国政界の舵取りをしていれば、いまのような反日国家にはならなかっただろうか? 
それとも、中国が中国である限り、権力欲にかられた独裁者が政治の中枢に居座り、政争の道具として反日カードを切り、日本をのみ込もうとするのだろうか?