2022年9月21日(水)
この日、本来なら九州の高千穂峡へ行く予定だったのですが、台風14号で立入禁止になっているため旅行は中止になってしまい、代わりに四天王寺に行ってきました。
四天王寺を訪れるのは学生時代以来。
記憶はおぼろげなのですが、あの古式ゆかしき四天王寺式伽藍の堂々たる佇まいはくっきりと印象に残っています。
仁王門の金剛力士像は、東大寺南大門に次ぐ大きさ。
作者は京都の仏師・松久朋琳・宗琳。
今はまだ彩色が鮮やかですが、年月とともに剥落・褪色して古色を帯びてくると、さらに趣きが増すように思います。
四天王寺と言えば、仁王門・五重塔・金堂・講堂が南北一直線にスーッと並ぶこの伽藍配置。
仏教を精神的・文化的支柱にして一大国家を築こうという、飛鳥時代の人々の高い意識と強い気概が胸に迫ってきます。
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という書簡を隋の煬帝に毅然と突き付けた誇り高き為政者が、あの時代の日本には存在したのだなあと感慨深いものがあります。
それに引き換え、いまの日本は……。
オリジナルの五重塔は593年に創建されましたが、その後何度も焼失し、現在の塔は1959年に再建された鉄筋コンクリート製。屋根は本瓦葺きだそうです。
通常なら最上階まで登ることができるのですが、コロナ感染拡大防止のため立入禁止でした。
中心伽藍を回廊づたいに廻っていくと、その途中に「龍の井戸」といわれる井戸が祀られています。
四天王寺では、金堂の地下深くに荒陵池があり、そこに棲む青龍が寺域を守護していると信じられています。
この「龍の井戸」も、金堂の地下の池とつながっているそうです。
地底に池があって、龍が棲んでいるなんて、ロマンティックな発想だなあ。
そういえば、八坂神社の地下にも龍の棲む池があるという言い伝えがあったような。
古来「気」が集まるポイントは「龍穴」と呼ばれてきたから、パワースポットには龍にまつわる伝承が多いのですね。
井戸屋形の天井にも龍の絵が。
以前はもっと迫力のある龍の天井画だったようですが、こういう現代的な龍図に代わってしまったらしいです。
金堂も講堂も内部は撮影禁止。
金堂の本尊は、平櫛田中作の救世観音半跏像。
平櫛田中といえば眼力と意志の強そうな面差しの彫刻が多い印象だったのですが、この救世観音は百済的飛鳥仏を思わせる少しアルカイックな「無」の表情と、様式化された浅い衣紋表現をもつ細身の仏像で、四天王寺の金堂という古代の宗教空間にふさわしい雰囲気を漂わせていました。
本尊の四方を、松久朋琳・宗琳作の四天王像が守護しています。
堂内の壁には、釈迦の誕生から入滅までを描いた中村岳陵筆の「仏伝図」。
講堂の堂内は「夏堂」と「冬堂」に分かれていて、冬堂には佐川定慶作の十一面観音、夏堂には松久朋琳・宗琳作の阿弥陀如来座像が安置されていました。
四天王寺には、松久朋琳・宗琳の仏像が多いのですが、そのなかで、講堂の阿弥陀如来にとくに惹かれました。
高さ6メートルの巨大な阿弥陀様は、丸みのある豊かな肩と引き締まった腰をもつ姿の美しい仏さまで、伏し目がちな大きな瞳にロウソクの炎が映り、その炎がチロチロと揺らめくたびに表情を変え、仏様の魂までが息づいているように思えてきます。
この仏さまに出会えただけでも、「ここへ来てよかった!」と感じます。
こちらの心に静かに寄り添ってくださるような、そんな素敵な仏さまでした。
日本三舞台のひとつとされる石舞台。
(ほかの名舞台は、住吉大社の石舞台と厳島神社の板舞台)。
毎年4月には四天王寺舞楽が奉納されるそうだから、今度観に来ようっと。
四天王寺舞楽は以前に国立能楽堂の公演で拝見したことがあるのですが、やはり本場でも観てみたいですよね。
ayaexcalibur.blogspot.com
石舞台の奥に見えるのが六時礼賛堂。
亀の池はその名の通り、カメの数が半端ない💦
甲羅干しのカメさんも、泳いでいるカメさんものびのびとして幸せそう😊
亀井堂も内部は撮影禁止だったのですが、こちらの霊水も「龍の井戸」の水と同じで、金堂の地下より湧き出るとされる聖なる水です。
そして何より注目すべきは、霊水を湛えた竜山石製の亀形石造物が、古墳時代の水祭祀に使われたものではないかと議論されていることです。
奈良県明日香村の酒船石遺跡から発掘された亀形石槽との類似性が指摘され、神仙思想にもとづく古代祭祀に使われた亀形石である可能性が浮上しているとのこと。
四天王寺地下に湧き出る龍の池信仰など、おそらく四天王寺が建立されるはるか昔から水にまつわる信仰がこの地に根づいていたのでしょう。
聖徳太子が祀られている静かなお堂。
端然とした清浄な空気が流れていました。
1962年に松下幸之助の寄進により再建された極楽門。
昔の経営者・創業者は、志の高さ、精神性の深さが違います。
「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心(釈迦が説法するところ、ここが極楽の東門の中心)」という扁額のかかった石の鳥居。
石の鳥居での日想観といえば、能《弱法師》を思い出します。
聖徳太子は四天王寺を建立するにあたり、仏教の学び場を提供し、社会的弱者を救うべく、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の四箇院を設けました。
極楽の入口とされるこの石の鳥居には、病者、貧者、乞食、非人たちが救済を求めて集まっていたのです。
そんな彼らにとって、西の海に沈む夕日を眺めて、極楽浄土を観想することがどれほどの救いになったことか。
後光のような残照は、阿弥陀如来があまねく照らす神々しい救いの光に見えたことでしょう。
太陽の光だけは、すべての人を平等に照らします。
目の見えない人にも、その明るさは感じられるのです。
貧民やハンセン病患者を救済し、この石の鳥居を建立した忍性も、夕日の光に照らされながら、彼らに仏の教えを説き、彼らの心を慰め、希望を与えてきたのでしょう。
「満目青山は心にあり」
夕日に輝く海の景色を心の目で見た弱法師の感動が伝わってくる気がします。
四天王寺門前の釣鐘饅頭の老舗。
蓮の花弁を模した花頭窓は、こうして見ると釣鐘形にもなるのですね。
屋根の上に釣鐘が載っているのも可愛らしい。