最強のパワースポット 松尾大社~上卯祭

2022年11月10日(木)

酒造りが始まる11月の卯の日に、醸造の安全を祈願して行われる「上卯祭」。
秦氏にゆかりの深い醸造の神さま・松尾大社のお祭りに行ってきました。

大鳥居

大鳥居の「松尾大神」の神号額は有栖川宮熾仁親王の筆。

鳥居の上部に張られた注連縄から榊の束がいくつもぶら下がっていますが、これは「脇勧請」といって、平年は12束、閏月が入る年には13束を吊り下げる習わしだそうです。

この習わしは、古代において参道の両脇に二本の木を植えて神さまをお迎えし、柱と柱の間に注連縄を張り、その年の月の数だけ細縄を垂らして月々の農作物の出来具合を占ったことに由来します。






楼門

現在の楼門は江戸時代のものですが、楼門の左右に配された随神像は、もとは八坂神社にあったものとされています。






一ノ井川

新羅系渡来人の秦氏は、5世紀後半ころ山城国葛野郡(現在の太秦あたり)に移り住み、葛野川に大きな堰(葛野大堰)を築いて田畑を開拓しました。

松尾大社の境内を流れる「一ノ井川」も、葛野大堰から分水した洛西用水の一部です。


古代の京都では、秦氏が西の大堰川桂川)を治め、賀茂氏が東の賀茂川(鴨川)を支配し、両豪族は婚姻関係を結びながら発展していきました。

平安遷都後は、秦氏賀茂氏がそれぞれ祀る松尾大社と上下賀茂社が「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と並び称され、ともに二葉葵を神紋とし、王城鎮護の社として、都を東と西から守護したのです。


両豪族の力の源泉は、水(川)を司る治水技術でした。


松尾大社の境内を流れる一ノ井川の流れは、下鴨神社糺の森を流れる「ならの小川」を彷彿とさせます。






本殿の釣殿と回廊、背後に松尾山

本殿の背後にそびえる松尾山は、古代より神奈備として信仰された山で、かつては山中の巨石を祭祀する磐座信仰が行われていました。

701年に文武天皇の勅命を賜った秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して、社殿を設けたのが松尾大社のはじまりで、以来、秦氏氏神として奉斎されてきました。


御祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)と市杵島姫命です。


大山咋神は、秦氏よりも前からこの地に住んでいた先住民たちが祀った縄文時代の山の神さまで、日本神話ではスサノオの孫(大国主の兄弟)であり、秦氏の奉斎した伏見稲荷大社祭神の宇迦御魂神とも兄弟とされています。

市杵島姫命は、弥生時代以降に秦氏が「開拓の守護神」として勧請した水の女神で、宗像三女神の一柱です。

秦氏は、葛野川と葛野大堰、そして渡月橋の守護神として宗像三女神を祀っており、渡月橋の南詰には、沖津島姫命(櫟谷社)と市杵島姫命(宗像社)を祀る櫟谷宗像神社があります。





上卯祭

さて、肝心の上卯祭ですが、まずはお祓いをして、祝詞が奏上されました。

祝詞奏上では、日本の酒造メーカーや蔵元、醤油メーカー、味噌やお酢のメーカーなど、さまざまな醸造関係企業の名前が読み上げられます。
(うちの近所の蔵元の名前もありました。地酒と地ビールが美味しい蔵元です。)


その後、茂山社中による大蔵流狂言《福の神》が奉納されました。





狂言《福の神》

狂言《福の神》のあらすじは以下の通り。

晦日に「年越しの福の神」を参詣するべく男二人がやってくる。男たちが福豆をまいていると、福の神が現れて、幸せにしてやるからと酒を所望し、「神々の酒奉行」たる松尾大明神に酒を捧げてから飲み干した。酒を飲んでご機嫌になった福の神は、「幸せには元手がいる」という。二人の男は元手がないから拝みに来たというが、福の神は「元手とは金銀や米ではなく、心持ち」だとし、「勤勉で、慈悲深く、来客を喜び、夫婦仲良くし、福の神に神酒をたくさん捧げればそれでよい」と謡い舞い、大笑いして去っていく。


狂言《福の神》は能楽堂で何度か観たことがありますが、実際に松尾大明神の前で神酒を捧げるさまを観るのは、劇中に紛れ込んだようで面白い!

本殿前の空気が美酒に酔ったような、ほんわかとした温かさに包まれて、神さまも喜んでいらっしゃるようでした。






本殿

回廊に遮断されて本殿を近くで見ることはできなかったのですが、現在の本殿は1397年に再建され、1542年に大改修されたもの。

屋根の形は前部分が長い一般的な流造とは違って、松尾大社では棟を中心に前後の屋根の長さがほぼ等しい両流造という珍しい様式で、「松尾造」と呼ばれています。

両流造は、松尾大社以外では厳島神社にしか見られないそうです。

両神社とも宗像三女神を祭神としているので、何か関係があるのかもしれません。








亀の井(よみがえりの水)

松尾山の磐座の近くに、水源を祀る「水元(みずもと)さん」があります。

水元さん」から湧く水は、御手洗川に流れて「霊亀の滝」となり、「亀の井」の水源となっています。

亀の井の霊水は「延命長寿・よみがえりの水」として知られ、お酒に入れると腐らないと伝えられていることから、醸造家の方々は酒造りの元水に加えているそうです。


お肌にも良いかと思い、手の甲につけてみましたが、ひんやりとして、やわらかく、まろやかで、少しとろみがあるお水。

化粧水を作ってみても、アンチエイジング効果が高いのかもしれません。







滝御前社

霊亀の滝から流れ落ちる御手洗谷には、715年に霊亀が出現したという伝説があります。

この年に即位した元正天皇は、この奇瑞を吉兆として年号を「霊亀」と定めたといいます。


霊亀の滝を拝する滝御前社には、罔象女神(みづはのめのかみ)という水の女神が祀られています。





霊亀の滝と天狗岩

霊亀の滝が流れ落ちる御手洗谷と天狗岩(左)。

写真からは伝わりづらいのですが、圧倒されるほど強い「気」のパワーを感じました。

眩暈がして、きちんと立ってられないくらい。

霊亀が現れたという伝承もうなずけるくらい、凄まじい霊力です。

私がこれまで感じたなかでは最強でした。


いにしえの人たちが大いなる山のパワーに畏怖し、篤く信仰して、その霊力と信仰が今も続いている━━日本って、ほんとうに素晴らしい国ですね。






四大神社と三宮社

末社にもお参りしました。

末社や摂社にも古代史的・民俗学的にさまざまな情報を得る手掛かりが隠されています。


四大神社(しのおおかみのやしろ)の御祭神は、春若年神、夏高津日神、秋比売神、冬年神という四季の神様。四つの季節の神々に豊作を祈願するお社です。四大神はスサノオの孫で、大山咋神の兄弟とされています。


三宮社の御祭神は玉依姫命玉依姫命は、『秦氏本系帳』において大山咋神の后神として記録されている、賀茂別雷神の母神です。

秦氏賀茂氏の神話が入り混じっているのがよく分かります。





手前から衣手社、一挙社、金毘羅社、祖霊社

衣手社の御祭神・羽山戸神も、神話体系のなかではスサノオの孫で、大山咋神や四大神とは兄弟にあたります。農耕や諸産業の守護神だそうです。


一挙神はスサノオの別名ともされ、お祈りすれば困難なことが「一挙に解決」する有難い神さま。


金毘羅社の御祭神は大物主命。大物主は大国主の和魂とされるので、この神さまもスサノオの孫で、大山咋神や四大神とは兄弟にあたります。


いずれも国津神系の神さまですね。


祖霊社は、松尾ゆかりの功労者をお祭りする社。







お酒の資料館

境内にはお酒の資料館もあって、松尾大社と酒造りとのかかわりの歴史や酒造りの工程が展示やビデオで分かりやすく解説されていました。






松尾大神の神楽面

お酒の資料館に展示されていた、備中神楽で使われる松尾大神の面。

備中神楽もいつか見てみたいな。


上記以外にも、重森三玲の庭園が素晴らしかったので、別記事でご紹介します。