松尾大社その2~重森三玲の遺作《松風苑》

2022年11月10日(木)

松尾大社その1~上卯祭からのつづき。
昭和を代表する作庭家・重森三玲の最晩年の代表作が、松尾大社の《松風苑》です。

《松風苑》の4つの庭はいずれも素晴らしく、写真撮影OKというのも松尾さんの嬉しい心づくし。
庭園散策の合間には神像館の社宝も鑑賞できるようになっていて、充実した空間構成になっていました。

曲水の庭(1)

曲水の庭はその名の通り、平安貴族が曲水の宴などを催した宮中庭園をモチーフにしています。

いまにも美酒をたたえた盃が、曲がりくねった遣水をゆったりと流れてくるような優雅なお庭。

水辺の石組は、歌を詠もうと頭をひねる平安貴族たちを模しているのでしょうか。






曲水の庭(2)

背後の築山の斜面には石組を連続配置し、それをサツキの大刈込がこんもりとつないでいます。

重森三玲の石組はモダニズム彫刻を思わせ、感情を持つ群集のような趣きです。


なめらかに摩耗した石で構成される洲浜のかたちは大和絵のように、ほのぼのとまろやかで、王朝時代の典雅な雰囲気が漂っています。








即興の庭

たまたまあった建物のあいだの隙間空間につくられた「即興の庭」。

当初の設計計画にはまったくなかった庭だそうです。


緑泥片岩、白川砂、錆砂利構成の枯山水形式。

苔エリアの「緑」を白川砂エリアの「白」が鋭角的に切り取り、見事なコントラストを成しています。

渡り廊下と二つの建物の三方向からの眺めを考慮しつつ、ダイナミックで動きのある石組配置が音楽的で、ジャズの即興演奏を思わせる前衛的な庭園です。








神像館

神像館(館内撮影禁止)には、平安後期から鎌倉期の18躯の神像や神剣などが収蔵されていました。

いずれも一木造の貴重な神像ですが、圧巻は御祭神二柱と御子神をあらわした三神像(重要文化財)。


中央の老年の男神像は大山咋神、右脇の女神像は市杵島姫命、左脇の壮年像は御子神をあらわしているとされています。

女神像は、別の社から来て合祀された女神さまだそうです。


中央の老年像がとりわけ見事でした。

「老年」といっても、おそらく50代くらいでしょうか。

平安後期の一木造の神像ですが、引き締まった体躯には品格があり、凛々しく威厳に満ちたお顔立ちをしていて、その洗練されたお姿に見入ってしまいました。



他にも、ほとんど朽ち果てた僧形の神像が2躯ありましたが、いずれもお顔や上半身は損傷を受けずにきれいに残っていて、在りし日の面影をとどめていたのが印象的でした。






上古の庭(磐座の庭)

上古の庭は「磐座の庭」ともいわれ、太古の原始的な磐座信仰をテーマにしたお庭です。


《松風苑》の4つの庭には、いずれも重森三玲が愛した徳島県吉野川の青石(緑泥片岩)が用いられていますが、ここ上古の庭では、磐座表現に青石の存在感が際立っています。


奥にある二つの巨石は、御祭神の大山咋神市杵島姫命をあらわし、それを取りまく石の群れは随神を表現しているそうです。

また、右手奥の斜めに傾く細長い巨石は、山頂の磐座から神が降臨するさまをあらわしているともいわれています。

一面を覆うミヤコザサが、聖なる山の神さびた趣きを伝えていました。








蓬莱の庭

神仙思想にもとづく蓬莱山をイメージした「蓬莱の庭」。

池をめぐりながら庭園を鑑賞する回遊式庭園です。


重森三玲自身は「蓬莱の庭」の完成を見ることなく制作途中で亡くなったため、長男の重森完途がその遺志を継いで完成させたといいます。


翼を広げた鶴の形をした池には、松尾大社の神使いである亀と鯉がのんびり泳いでいました。







龍門瀑形式の滝

池をめぐっていくので、滝も間近で鑑賞することができました。

非常に抽象化された石組ですが、なんとなく、鯉が滝を登りながら龍へと変身する姿が複数の石によって異時同図法的に表現されているように見えてきます。

重森三玲マジックですね。