2022年11月10日(木)
松尾大社をあとにして、すぐ近くの月読神社(松尾大社摂社)にも訪れてみました。

黄泉の国から帰ったイザナギが禊ぎをしたときに生まれたアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三柱の神々。
なかでもツクヨミ(月読)は謎の多い神さまです。
「月読」とは、月の引力による潮の干満によって月齢や暦を読むことを意味します。
そのため古代より月読神は天文、暦数、卜占、航海の神として信仰されてきました。
山城国風土記逸文には「月読尊が天照大神の命で豊芦原の中津国に降り、保食神のもとへ赴いたとき、湯津桂に依って立った。そこから桂里という地名が起こった」とあります。
桂という地名や桂川という名称は、この桂里を起源としているそうです。

日本書紀に記された月読神社の創建伝承には、高皇産霊尊(タカムスビノミコト)を祖とする「月神」が壱岐県主に奉斎されたとあります。
このことから月読神社の祭神の神格は、もとは海人の壱岐氏によって壱岐島において祀られた月神(潮の干満を司る海上神)と推定されています。

壱岐氏の本拠地・壱岐島から山城への勧請には、中央政権と朝鮮半島との関係において対馬・壱岐が重要視されたことがその背景にあるとされています。
壱岐・対馬の氏族が卜部として中央の祭祀に携わるようになった時期を考えると、月読神社の創建は6世紀半ば~後半と考えられています。
ただし、現在の本殿と拝殿は江戸時代に建てられたもの。

解穢水(かいわいのみず)は「穢れを解く」とされ、「四時絶えることのない山からの霊水」と伝えられていましたがが、現在は残念ながら涸れ果てていました💦

御船社の祭神は、天鳥舟命。
松尾大社神幸祭の折には、御船社で渡御の安全祈願祭が行われます。

月読神を崇敬した聖徳太子を祀った社。
聖徳太子の寵臣・秦河勝一族によって祀られたともいわれています。

恋愛などの縁結びに御利益がある「むすびの木」。

伝説によると、この石はもとは筑紫にあり、三韓征伐から凱旋した神功皇后が応神天皇を生む際にこの「月延石」で腹を撫でて安産をされたことから、「安産石」とも呼ばれています。
この石を撫でると安全のご利益があるそうですが、写真のように、月延石のまわりには安産祈願の文言が呪文のように書かれた丸石が置かれています。
日本の少子化対策の守護神ですね。

月読神社から駅まで少し散策したのですが、面白いものにいろいろ出会えました。
上の写真は京都花鳥館。
花と鳥をテーマにしたマイセン窯の磁器作品や上村淳之画伯の作品を展示する洋館です。
窓はすべてステンドグラスになっていて、きっと内部は素敵な空間なんだろうなあ。
この日は素通りしましたが、次に訪れた際にはゆっくり鑑賞してみたいと思います。

歩いていると、山から民家に向かって「キーッ、キ~」という声が聞こえてきたと思ったら、お猿さんたちでした。
そういえば子供のころ嵐山を歩いていたら、お菓子を持っていた妹がお猿さんに襲われたことがありました。
今でもたくさん棲んでいるんですね。人間とうまく共存しているのでしょうか?

ここの境内にもお猿さんたちがたくさんいました。
印象的な観音さま。浄土宗のお寺のようです。
お寺の入口に「開山延朗上人旧蹟地」という石碑があったので調べてみると、平安末期から鎌倉初期の僧侶で、源義信(八幡太郎義家の孫)の長男だった「延朗(えんろう)」という上人が。この地で最福寺の創建を果たしたことから「松尾上人」と呼ばれたそうです。

ぶらぶら散策していると、なにやら京極夏彦の世界に紛れ込んだような、異様な建物が見えてきました。
この建物の名は「かぐや姫竹御殿」。
昭和の初期に「竹取りの翁」と呼ばれた竹職人・長野清助が27年の歳月をかけ、金閣寺を模して独力で建造したそうです。

現在は「BAMBOO COFFEE」というカフェになっているようですが、あいにくこの日は臨時休業で中には入れませんでした。。。
でも、外から見てみるだけでもその凄さが伝わってきます!
窓も、外壁も、屋根も、すべて竹を編んでつくられていて、27年の歳月をかけてたった一人で作り上げたという、凄まじい執念を感じさせます。
横溝正史の作品に『鬼火』『蔵の中』『かいやぐら物語』という幻想小説があるのですが、彼がこの「かぐや姫竹御殿」を題材に幻想小説を書いていたら、どんな物語になったのだろう?と想像を膨らませてみたくなります。

竹の寺・地蔵院。
かぐや姫の世界が今も残っています。