2022年11月25日(金)
広隆寺から大酒神社をめぐって、ミステリアスな三柱鳥居のある木嶋坐天照御魂神社へ。
「蚕の社」として知られる木嶋神社は、養蚕と織産の神さまとして崇敬を集める一方で、古代史ミステリーの宝庫でもある場所です。
ここも紅葉が見頃を迎え、青紅葉、黄紅葉、赤紅葉のグラデーションが綺麗でした。
錦秋たけなわ。
黄色に色づく紅葉が陽光に映えて輝いています。
こちらは明治期に再建された拝殿。
木嶋坐天照御魂神社の御祭神は、天之御中主神、大国魂神、彦穂々出見命(山幸彦)、ウガヤフキアエズ、ニニギの五柱です。
なかでも天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は、『古事記』では神々のなかで最初に登場する神さまで、その名の通り、天(宇宙)の中心を司る「至高の神」とされています。
上の写真は、木嶋坐天照御魂神社の本殿。
その隣にある小さめのお社が、蚕養神社(こがいじんじゃ)です。
木嶋社の通称「蚕の社」は、この蚕養神社に由来します。
木嶋社の神紋も、上下賀茂(鴨)社や松尾大社と同じ「花付き双葉葵」。
京都を早くから開拓した秦氏と賀茂氏にゆかりの深いこれらの神社は、太陽信仰を介して密接につながっています。
木嶋社の太陽信仰の原点が、境内にある三柱鳥居です。
私が訪れた時は上の写真のように、三柱鳥居の中央を太陽の光が照らしていて、神々のパワーが集まるスポットに後光が射しているかのようで、とても神秘的でした。
かつては三柱鳥居の中心から清らかな水が湧き出ていて、鳥居周辺が「元糺の池」という神池となり、それを取り巻く森が「元糺の森」と呼ばれていたそうです。
しかし現在はご覧の通り、聖なる水も枯れ果ててしまっています。
この地が「元糺」と呼ばれたのは、嵯峨天皇の御世に「糺」を下鴨神社・河合神社に遷したため、「元糺」と言われるようになったようです。
糺の森(下鴨神社・河合神社)-元糺の森(木嶋坐天照御魂神社)-松尾大社とのつながりについては、大和岩雄氏が『秦氏の研究』のなかで興味深い考察をされています。
それによると、「糺」と「元糺」の地は、四明岳(比叡山の一峯)から昇る朝日が「タダサス(一直線に射す)」地であり、「タダサス」が「タダス」になったとのこと。
つまり、糺の森(下鴨神社・河合神社)と元糺の森(木嶋坐天照御魂神社)の地は、夏至には比叡山から昇る朝日が一直線に射す(タダサス)場所であり、さらに冬至には、松尾山に沈む夕日が一直線に照らす(タダサス)という吉祥の地なのだそうです。
さらに面白いのは、木嶋坐天照御魂神社の社名は「木嶋に鎮座する天照御魂神の社」という意味であることから、本来は「天照御魂神(あまてるみたまのかみ)」が祀られていたのではないかと考えられていることです。
天照御魂神は、天照大神とは別神格の太陽神ではないかという説もあり、秦氏が月読神社の月読神を「月神」、木嶋社の天照御魂神を「日神」として「月神と太陽神」をセットで祀ったのではないかという研究者もいます。
三柱鳥居はとても神秘的な空間で、その場に佇むだけで背中がゾクッとような霊気を感じ、畏怖の念に襲われるほどです。
この三柱鳥居は、秦氏とゆかりの深い山々から射す「冬至と夏至の朝日・夕日」を遥拝するための聖なる装置だという説もあります。
前述の大和岩雄氏は、三柱鳥居の太陽信仰について以下のように考察しています(上図「三柱鳥居と山の方位の関係」参照)。
冬至の朝日は、秦氏の聖地である稲荷山(伏見稲荷大社)の方角から昇ります。
夏至の朝日は、比叡山山系の四明岳から昇ります。比叡山(日枝)の神も秦氏に関係します。
冬至の夕日は愛宕山に落ち、夏至の夕日は松尾山の日埼峯に落ちます。
愛宕山は、秦氏の山岳信仰の山であり、日埼峯(松尾山)は秦氏が祀る松尾大社の聖地です。
三柱を結ぶ三角形の頂点のうち2点は、稲荷・松尾の2社を指しますが、もう1点が指すのが、秦氏の祖霊が眠る双ケ丘です。
つまり、三柱鳥居の正三角形の頂点は、それぞれ秦氏の聖地を指し示しているのです。
ただし、この鳥居が太陽が昇る方位だけでなく、沈む方位や祖霊の墓所の方位を示していることから、この地を「死と生(再生)」の祈りの聖地と捉えることもできます。
その再生祈願の神こそ、天照御魂神という太陽神です。
三柱鳥居については、三本の柱はキリスト教の三位一体の象徴であり、ネストリウス派キリスト教(景教)の遺物ではないかと見る説もあり、興味が尽きないところです。
神社のあちこちには、元糺の池から水が流れていた痕跡が残っています。
かつてはこの清らかな水に足をつけて禊を行う行事があったようで、現在でも土用の丑の日には、人工的に水を流し、そこに足をつけて穢れを祓う「御手洗祭」が行われているようです。
木嶋社の境内には、三柱鳥居以外にも、謎めいた場所がありました。
稲荷社の奥にあった白清社。
白清社は、洞窟のような古い祠になっていて、なかには白清稲荷大明神が祀られていました。
なにか、ただならぬ霊気の漂う空間……。
調べてみると、秦氏一族の墓とされる天塚古墳から移築されたもののようです。
古墳に祀られていたお稲荷さんだから、石室を再現した洞窟のような祠に祀られているのですね。
椿丘大明神は石碑が建っているだけで、祠や社はなく、由来も不明な謎の神さまです。
石碑が椿の木の根元に建っていたので、椿の精の神さまでしょうか?
木嶋坐天照御魂神社には解明されていない謎が多く、好奇心をかき立てる面白い場所でした。