2023年4月1日(土)
狛うさぎの岡崎神社を後にして、すぐ近くの金戒光明寺へ。こちらも桜が綺麗でした。
金戒光明寺は、1175年に比叡山を下りた法然が最初に念仏道場を開いた浄土宗大本山です。
新撰組発祥の地でもあり、『平家物語』の「敦盛の最期」で知られる熊谷直実が出家した場所でもあるため、境内にはさまざまな歴史の痕跡が残っていて、とても見応えがありました。
時代劇のロケにもよく使われる三門は高さ23メートル。
「浄土真宗最初門」の勅額は後小松天皇の宸筆で 「法然上人が最初に浄土の教えを広めた念仏発祥の地」という意味だそうです。
山門内部には等身大の釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。
小高い丘に建つ金戒光明寺は天然の要塞として、江戸時代初期に徳川家康によって知恩院とともに城郭風構造に改修されました。
1860年に再建されたこの高麗門も、表面には頑丈な鉄板が張られ、両側にくぐり戸が設けられた城郭形式の門になっています。
1934年に大方丈とともに焼失した御影堂は、1944年に近代建築家・武田五一の設計によって再建されました。
平安神宮のシンボリックな大鳥居からセセッション様式の京都府立図書館、小川治兵衛とコラボした円山公園など、武田五一が手掛けた建築は多種多様で、その守備範囲の広さには脱帽です。
御影堂内は自由に参拝できるので、安置された本尊阿弥陀如来坐像や吉備観音、運慶作とも伝えられる中山文珠などを拝むことができます。
大方丈はこの日は公開されてなかったのですが、だまし絵的な仕掛けの「虎の襖絵」で有名です。
恵心僧都源信作とされる阿弥陀如来は、源信が仏像を刻む「のみ」を胎内に収めて、以後の仏像制作を止めたことから「のみおさめの如来」とか「お止めの如来」と呼ばれています。
いかにも平安期の仏像らしい、おおらかでゆったりとしたお姿の阿弥陀さまでした。
1689年に再建された旧経堂。
堂内には新しい金ぴかの阿弥陀如来坐像が安置されているのですが、これは金戒光明寺に納骨された骨で造立された「骨仏」だそうです。
一ノ谷の合戦で少年武将・平敦盛を討ち取った熊谷直実は世の無常を儚み、敦盛の菩提を弔うべく、1193年、黒谷の法然上人を訪ねます。
このとき直実は池で鎧を洗って、出家したとされています。
極楽橋がかかるこの蓮池は、熊谷直実が兜を洗ったことから「兜之池」とも呼ばれています。
はらはらと桜の散る風情が無常観をかき立てていました。
熊谷直実が池で洗った鎧を掛けたことから「鎧掛けの松」と呼ばれる松の木。
以前に写真で見た「鎧掛けの松」は、見事な枝ぶりの巨大な老松だったのですが……整定したか、植え替えたのかな?
人だかりができていたので、「なんだろう?」と思って近づいてみると、近年人気沸騰中のアフロ阿弥陀仏でした。
人が群がっていないと気づかないような場所に、ひっそりと鎮座されています。
五劫思惟阿弥陀如来石像(アフロ阿弥陀)の「劫」とは「永劫」の劫で、途方もなく長い時間のこと。
つまり、のちに阿弥陀如来となる宝蔵菩薩が衆生を救う方法を長いあいだ考え続けたため、髪が長くなってしまったという表現らしいです。
会津墓地に向かう参道には、さまざまな姿の素朴な石仏が安置され、参拝者を静かに見守ってくださいます。
泰然と端座するお姿には独特の味わいがありますね。
三重塔は、1633年に徳川秀忠の菩提を弔うために建立されました。
かつては文殊菩薩と脇侍が塔内に鎮座していたことから「文珠塔」とも呼ばれます(文殊菩薩は現在は御影堂に安置されています)。
幕末に京都守護職となった会津藩主・松平容保は、ここ金戒光明寺に本陣を置きました。
浪士組として京都の警備にあたっていた芹沢鴨、近藤勇、土方歳三らは、浪士組が江戸に引き上げた後も京都残留を希望し、その嘆願書を守護職に提出した結果、京都守護職預かりとなり、「新選組」として市中取り締まりの命を受けます。
そのため、金戒光明寺は新撰組発祥の地とされています。
境内東側の小高い丘の上には、鳥羽伏見の戦いや禁門の変で命を落とした会津藩の戦没者が祀られ、慰霊碑が立っていました。
この近くには、会津藩の中間部屋頭の片腕として、そして新撰組の密偵としても活躍した侠客・会津小鉄(上坂仙吉)の墓もあるそうです。
会津墓地の参道からの素晴らしい眺め。平安神宮の大鳥居や京都タワーも見えます。
くっきりと晴れた日には、あべのハルカスも見えるそうです。
金戒光明寺にはいくつもの塔頭寺院があるのですが、ここ西雲院には、金戒光明寺の縁起にちなんだ貴重な石が祀られています。
1175年、比叡山から降りた法然上人がこの石に座ってうたた寝をしたところ、夢の中で紫雲がたなびき、下半身が金色に輝く善導(中国浄土教の高僧)が現れました。
この霊夢によって、法然上人は浄土宗を開く決意を固めたといいます。
お堂の中には、フロアクッション・サイズの大きな石が安置されていました。たしかに、うたた寝するにはぴったりの石ですね。
帰りは岡崎公園近くにあるハプスブルク家御用達のベーカリー「ホーフベッカライ エーデッガー・タックス」で、ひと休み。
店外のテラスからは、桜咲く琵琶湖疎水を十石舟が流れるように進んでいくのが見えて、なんとも風情がありました。
コロナを気にせずに春を満喫できるのはほんとうに久しぶり。
京都は観光客であふれかえっていたけれど、皆さん、生き生きとした表情で古都の春を楽しんでいらっしゃいました。