葵祭「路頭の儀」

2023年5月16日(火)

4年ぶりの開催となった葵祭の「路頭の儀」。
天候不順のため15日の予定が翌日に延期になったのですが、この日はお天気にも恵まれ、五月晴れの汗ばむような陽気でした。

葵祭賀茂祭)の起源は飛鳥時代にさかのぼります。

風水害や疫病の蔓延などが続いたことから、賀茂の神の怒りを鎮めるために、人に猪頭をかぶらせ、馬に鈴を懸けて走らせる祭祀を行ったのが始まりとされています。


はじめは賀茂氏のお祭りでしたが、平安遷都以降、天皇の使者が派遣される「勅祭」となりました。



「路頭の儀」は、天皇から勅使に託された幣帛(お供え)を上下賀茂社に運ぶための儀式です。

明治時代までは京都御所にて、天皇の侍従が陛下の前で唐櫃に幣帛を入れる「宮中の儀」が行われていました。

明治になって天皇が東京に遷ってしまわれてからは、勅使が東京から派遣されるようになったそうです。


この日は上皇陛下御夫妻が初めて京都御所葵祭をご観覧され、明治以前の本来の姿を彷彿とさせる特別な葵祭となりました。




賀茂川

路頭の儀のルートは京都御所下鴨神社上賀茂神社となっていて、どこも混んでいるのですが、私は加茂街道で観覧しました。

賀茂川沿いにある加茂街道は、街路樹の木陰もあるし、川風が吹いて涼しいし、ベンチに座って休めるし、混雑も比較的少なく、行列を間近で鑑賞できるのでおすすめです。





乗尻(のりじり)

木陰で本を読みながら待っていると、葵祭の行列が近づいてきました。

行列を先導するのは「乗尻」です。






賀茂氏(かもうじ)の人たち

乗尻は、毎年5月5日の賀茂競馬(くらべうま)で馬を走らせる賀茂氏(かもうじ)の人たちが務めます。

舞楽と同じく、赤系の衣装を着ているのが「左方」、緑(黒)系の衣装を着ているのが「右方」で、所作なども左方は左から、右方は右から動作をはじめるという陰陽道にもとづいた作法が決められているそうです。


颯爽と馬にまたがる貴公子の姿は凛々しくて、素敵ですね。

平安時代に、馬上の公達の姿を一目見ようと、車争いになるほど人々が押し寄せたのも肯けます。

競馬や流鏑馬も、来年こそは観に行きたいです。





検非違使志(けびいしのさかん)

警察・裁判を司る検非違使

賀茂祭では巡行の警護にあたります。



平安時代には、位階に応じて「袍」の色が決められていて、天皇が黄櫨染(こうろぜん:茶系)、東宮が黄丹(おうに:橙系)、上皇が赤、臣下は四位以上が黒、五位が緋(赤系)、六位以下が縹(青系)となっていました。

検非違使志は六位なので、縹色の袍を着用しています。

行粧を見ていると、平安時代の装束が細かいところまで忠実に再現されていて、これを支える西陣をはじめとする職人さんたちの技術にも脱帽です。






検非違使尉(けびいしのじょう)

検非違使尉は、検非違使志の上役で、五位の判官。巡行警備の最高責任者です。

白馬も馬具も立派で、美しい。







山城使(やましろつかい)

山城介で山城国司の次官。五位の文官。

賀茂両社とも洛外になるので、山城国司の管轄区域にとなったため、山城使が監督の任に着いたそうです。






山城使の所持品

手振、童、雑色、取物舎人、白丁などの従者が山城使の所用品を携えていきます。







御幣櫃(ごへいびつ)

宮中から賀茂社に奉納される御幣物を納めた唐櫃を、白丁がかついでいきます。

簡素でさりげない白木の唐櫃ですが、天皇から託された幣帛を奉納するのが葵祭の本来の目的なので、この唐櫃こそが「路頭の儀」の要となります。





内蔵寮史生(くらりょうのししょう)

内蔵寮史生は、御幣物を管理する七位の文官。

縹色の袍を着ています。



御馬(おうま):走馬(そうめ)

神前で走らせて、神さまに御覧に入れる馬。

1頭に4人の馬部(めぶ)がついて引いていきます。






馬寮使(めりょうつかい)

走馬を司る六位の武官。

暑いなか、人もお馬さんも疲れているだろうなあ、がんばれ、がんばれ!






牛車(御所車)

本物の牛が牽く牛車なんて、京都の葵祭時代祭でしか見られないんじゃないかな。

人を乗せたり、車を牽いたりしている忍耐強く、けなげな馬さん、牛さん。



この子たちを1年以上かけて調教してきた方々にも頭が下がります。






替えの牛さん

御所車は2台あるのですが、それぞれを2頭の牛さんが交代で牽いているらしく、控えの牛さんもいました。





舞人(まいうど)

近衛府の五位の武官で、歌舞の堪能者が祭りの舞人を務めるそうです。






近衛使(このえづかい):勅使

天皇のお使い(勅使)で、行列のなかで最高位の人。

騎乗する馬も、豪華な装飾をつけた飾馬になっています(お馬さんが、前が見えづらそうでした💦)。

四位近衛中将が務めるので、近衛使とも呼ばれます。


現在は、天皇から遣わされた本物の勅使は「路頭の儀」には加わらず、代行者が務めているため、正式には「近衛使代」と言うそうです。





さまざまな奉納品も運ばれていきます。

虎の皮までも。

前述のように古代の賀茂祭は、猪頭をつけた人が馬に乗ったのが始まりとされていることからも、賀茂族の人たちは元来、騎馬を得意とする狩猟の民だったのかもしれません。




牽馬(ひきうま)

勅使の替え馬で、帰路に備えているそうです。

女の子かな? 可憐な感じのお馬さんですね。





風流傘

季節の花々をつけた風流傘。行列が華やぎます。






陪従(べいじゅう)

近衛府の五位の武官。社頭で歌をうたい楽器を奏する役を務めます。





内蔵使(くらづかい)

神前で勅使が奏上する祭文を捧持していきます。




風流傘

本列の最後尾をゆく風流傘。

これが過ぎると、いよいよ斎王列がやってきます。





命婦(みょうぶ)

斎王列になると、一気に華やぎますね。

命婦は高官の妻女。高位の女官なので、花傘をさしかけます。




女嬬(にょじゅ)

女嬬は食事を司る女官で、徒歩で進んでいきます。





斎王代

斎王代、きれいですね。うっとりします。

華麗な十二単は重さ30㎏。これを着たまま8時間以上も斎王代を務めるのですから、体力・精神力ともに並大抵ではありません。

乗っている腰輿(およよ)は四方が開放され御簾(みす)が取り付けてあるので、四方輿ともいうそうです。



斎王代

下鴨神社では平安時代よりも前から、御蔭祭(みかげまつり)という神迎えの神事に「阿礼乎止売(あれおとめ)」という女性祀官が奉仕していました。

平安遷都後、未婚の皇女が神に仕える斎院の制度が始まりました。


賀茂祭の当夜、斎院は上社に臨時に設けた神館にこもり、双葉葵を枕にしてかり寝の夜を過ごしたといいます。


大和岩雄の『日本の神々』(第五巻)には、斎院の「阿礼乎止売」としての性格が記されています。

「現在は神霊の降臨の儀礼と、依代となった阿礼木(榊)神幸の儀式のみだが、賀茂別(若)雷命は御子神なのだから、父神(火雷神)の降臨儀礼の次に神婚の儀式があったはずである。斎王(阿礼乎止売)とは、『山城国風土記逸文の丹塗矢(火雷神)と神婚した玉依日売である。神婚によって、神の子である賀茂の神(別雷命)が誕生(御阿礼)する。神館は、この神婚と阿礼の秘儀が行われた所である。」





斎王代

賀茂の斎院として有名な式子内親王は、賀茂斎院の神館でかり寝をしていた時のことを、神との神秘的な交わりをほのめかす形で歌に詠んでいます。


ほととぎす その神山の旅枕 ほの語らひし 空ぞ忘れぬ



八岐大蛇伝説や三輪神婚譚と同様、いにしえの斎院たちが神に仕える花嫁だったことが、式子内親王の歌からも伝わってきます。





駒女(むなのりおんな)

駒女は、斎王代のお付きの巫女。

馬に乗っていくので「駒女(むなのりおんな)」というそうです。





采女天皇・皇后の給仕係の女官ですが、神事の際には供物を運ぶ役目を担いました。

斎王と同じく、髪に「日陰の糸」をつけて垂らしています。






蔵人所陪従(くろうどどころべいしゅう)

斎王の物品や会計を司る文官で、楽器を演奏するため、それぞれ楽器を運ばせています。





牛車(御所車)

斎王列の最後尾は「女房車」とも呼ばれる斎王専用の牛車。

赤い装束の童たちが愛らしいですね。



賀茂川から涼しい風が吹くなか、美しく華やかな行列を鑑賞できて、最高の気分でした。

主催者・関係者の方々、ありがとうございました。