2025年11月8日(土)
ランチのあとは、いよいよ法隆寺です!
法隆寺では意外なことに外国人観光客がほとんどいなくて、遠方から来たらしい東北なまり団体客など日本人が多かったです。いろんな意味で古き良き日本の情緒を感じました😊

法隆寺(斑鳩寺)の建立は、聖徳太子の父である用明天皇がみずからの病気平癒を祈って発願したことに始まります。その後、用明天皇が崩御されたため、その遺志を継いで聖徳太子が607年に完成させたといいます。
しかし、創建当初の法隆寺(若草伽藍)が聖徳太子没後の670年に全焼してしまいます。
法隆寺が再建されたのは、オリジナルの法隆寺(若草伽藍)創建からおよそ100年後の708年でした。
この再建された法隆寺が現在の西院伽藍。
再建されたとはいえ、現在でも世界最古の木造建築でありつづけています。

南大門をくぐると中門が見え、その先に金堂と五重塔がのぞいています。
中門から左右にのびる回廊が金堂と五重塔を囲み、金堂が東、五重塔が西に並ぶ伽藍配置を「法隆寺式伽藍配置」といいます。
ちなみに607年に創建されたオリジナルの法隆寺(若草伽藍)は、南から中門・塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ「四天王寺式伽藍配置」でした。
若草伽藍は、物部守屋との戦いの戦勝記念として聖徳太子が593年に建てた四天王寺に年代も伽藍配置も比較的近いのですね。

中門は飛鳥時代後期(白鳳期)708年の再建。
日本の寺院の門は柱間が通常は奇数になりますが、この中門は4間の偶数になるところがユニーク。そのせいで真ん中に柱が立っています。
左右にたつ仁王像に注目! 遠くからでもその迫力が伝わってきます。

中門・五重塔・金堂の建築様式には、組物に雲斗・雲肘木などの曲線が多用され、卍崩しの高欄や「人」字形の束が用いられている点などが特色です。
これらは法隆寺の中門・五重塔・金堂と法起寺の三重塔、法輪寺の三重塔だけに見られる様式で「飛鳥様式」と呼ばれます。

711年に造立された塑像の金剛力士像。日本最古の仁王像だそうです。
奈良時代初期にこれだけ躍動感のある仁王像がつくられたなんて驚きです!

白鳳期708年の五重塔。高さは32.55メートルで、34メートルの薬師寺東塔(730年建立)よりは少し低いですが、木造五重塔としては現存世界最古。
初重から五重までの屋根の逓減率が高いことが特色で、五重の屋根の一辺は初重の屋根の約半分だそうです。どっしりとした安定感のある造形ですね。
初重内陣には東西南北四面に塔本四面具(国宝)と呼ばれる塑像群像(711年)が安置されています。
北面には釈迦の涅槃、東面には文殊と維摩居士の問答、南面には弥勒の浄土、西面には分舎利の場面が表現されていて、塔の外から覗くことができます。
鳥よけの網越しで見えにくかったものの、お釈迦様の入滅を嘆く仏弟子の描写が真に迫っていて劇画チックでした!

白鳳期708年再建の金堂(国宝)。入母屋造の二重仏堂。初層裳階付き。
金堂内陣には白鳳期の名宝の数々が安置されています。
●釈迦三尊像(国宝)
聖徳太子の死の翌年(623年)に造立された銅造鍍金の釈迦三尊像。
薬王・薬上両菩薩を脇侍に従えた釈迦如来像は、聖徳太子と母の穴穂部間人皇女、妃の膳王妃の冥福を祈って「尺寸王身(聖徳太子と同じ背丈)」につくられたとされ、アーモンド形の眼やアルカイックスマイル、太い耳朶、幾何学的な衣文表現など止利仏師による典型的な仏像様式を示していました。
この釈迦如来像が聖徳太子を等身大だったとすると、太子は意外と小柄だったんだなあという印象です。
●薬師如来坐像(国宝)
法隆寺再建期の7世紀に建立された銅造の薬師如来像。脇侍の日光月光菩薩は本来一具ではなかったもの。
光背裏の銘には、用明天皇がみずからの病気平癒のために造像を発願したが、崩御したため聖徳太子が完成させたことが記されています。
●阿弥陀三尊像(重要文化財)
鎌倉期の慶派仏師・康勝による銅像。脇侍の勢至菩薩はフランス・ギメ美術館に所蔵されているため、法隆寺のものは1994年に鋳造されたレプリカ。
●四天王立像(国宝)
飛鳥時代7世紀中頃のクスノキの一木造で、現存最古の四天王像。
直立不動の四天王さま。広目天と多聞天は奈良博の『超国宝展』で拝見しているので嬉しい再会でした。
天衣の裾を後ろから前に翻す表現が百済観音と共通しているところに注目。

金堂には、江戸時代の修理の際に屋根を支える柱に加えられた「昇り龍」の柱飾りがついています。
精巧すぎて飛鳥時代の建物のなかではちょっと異彩を放っていますね。

金堂には他にも、屋根を支える鬼や

象などがいました。なんか愛嬌があります😊

990年に再建された大講堂。
平安時代10世紀の薬師三尊像(国宝)と四天王像(重文)が安置されていました。

奈良時代の楼造(二階建)建築。さりげない建物ですが国宝です。

金堂とほぼ同時期に再建された回廊。
柱がエンタシスになっているのがよくわかりますね。

平安時代に再建された鐘楼。こちらも国宝です。

鎌倉時代に建立された三経院。
蔀戸や板扉がある住居風仏堂で、三経院の名称は聖徳太子が著した『三経義疏』(3つの経典の注釈書)にちなむそうです。

境内北西の小高い丘を登ると、西円堂という八角円堂があります。
藤原不比等の妻で光明皇后の母である橘三千代が発願し、行儀菩薩が718年に建立したと伝わりますが、現在の西円堂は鎌倉時代に再建されたもの。
堂内には奈良時代の薬師如来坐像(国宝、脱活乾漆)や十二神将・千手観音(いずれも重文)が安置されているのですが、この薬師如来さまが非常に穏やかで優しいお顔立ちをされていて、見ているだけで和やかな気分になりました。
「峠の薬師」と呼ばれて昔から人々に親しまれているだけあって、病気や怪我を治す癒しの薬師さまですね。

東室は法隆寺創建以来の遺構を伝える僧房。
回廊とともに造営されたと考えられています。

1284年に東室の一部を改築して建てられた聖霊院。聖徳太子の霊廟です。
入母屋造の切妻とする正面には吹き放ちの広庇や蔀戸がついています。
内部には聖徳太子像やその係累像(平安時代、国宝)、如意輪観音半跏像・地蔵菩薩像(重文)が安置されていますが、残念ながら非公開でした💦

平安時代に建立された綱封蔵は、寺宝を保管するための高床式の蔵。
2つの蔵を1つの屋根で覆う「双倉」という形式になっていて、中央の三間が吹き抜けなのも珍しく面白い造りでした。

奈良時代に建立された食堂(画面左)は元は政屋と呼ばれる建物でしたが、平安時代に食堂として使われるようになったそうです。
食堂は隣の細殿と軒を接して建つ双堂で、奈良時代の建築様式を今に伝えています。

1998年に完成した大宝蔵院。こちらに百済観音や玉虫厨子など名だたる名宝が陳列されています。
以下は印象に残ったものの覚え書き。
●百済観音(国宝、飛鳥時代)
今春、奈良博の『超国宝展』で間近で拝見したばかりですが、こちらでは高い台の上に展示されているせいか、さらに崇高感が増して、神秘的なオーラが漂っていました。
●夢違観音(国宝、白鳳期)銅造。
もとは東院絵殿の本尊。「夢違観音」の名称は悪夢を良夢に変えるという伝説に由来します。ほのぼのとした親しみやすいお顔立ち。透き通るように薄い天衣の表現やその下から感じられる瓔珞のふくらみなど、飛鳥時代の作とは思えないほど精緻な技術に見入ってしまいました。
●九面観音(国宝、7~8世紀)
中国・唐からの将来像。白檀の一木造で、繊細優美な装身具や瓔珞、なめらかな天衣などすべてを一木で彫り上げたというから驚きです。世界都市・唐の都の文化の高さを思い知った作品でした。
●地蔵菩薩立像(国宝)
平安時代9世紀の一木造。こちらも『超国宝展』で拝見したものです。もとは大神神社の神宮寺・大御輪寺に安置されていましたが、明治の神仏分離で法隆寺へ。愛らしい童顔と流麗な衣文表現が印象的な地蔵菩薩でした。
●金堂小壁画(重文)
1949年の金堂の火災の際に、取り外されていたため難を逃れた壁画20面のうち飛天の図が展示されていました。優雅で軽やかな天人たち。壁画の大部分が焼失したことが悔やまれます。
●玉虫厨子(国宝、飛鳥時代)
教科書にも載っている超有名な玉虫厨子。異時同図法で描かれた『捨身飼虎図』や『施身聞偈図』はいわば古代のアニメーション。金堂の壁画と同じ人がデザインしたのでしょうか、流れるような表現に類似性を感じました。
以上、西院伽藍だけでも国宝てんこもりで非常に充実した内容でしたが、法隆寺はまだまだ広い!
このあと東院伽藍をめぐりました(つづく)。