2021年6月1日(火)
コロナ禍のなかの産寧坂。
参拝するには閑散としているほうがいいけれど、生計を立てている土産物店や飲食店の方々はどれほどご苦労されていることか。
いつもメディアの取材を受ける瓢箪屋さんは、この日もお店を開けていらっしゃいました。
能《熊野》に登場する「経書堂はこれかとよ」の経書堂ですね。
松原通から六道の辻を通って、清水寺をあがってくると、《熊野》のストーリーに沿った世界が展開します。
仁王門の狛犬は阿吽形ではなく、どちらも口が開けている「阿阿形」。
東大寺南大門の狛犬を模したためだといわれています。
バランス的には阿吽のほうがしっくりくるけれど、阿阿の狛犬には「仏の教えを世に大声で知らせる」という意味がこめられているとか。
お寺の背後に見えるのは、こんもりした清水山。
丸みのある長閑な形が、いかにも京都の山らしい。
清水の舞台からの眺め。
京都タワーが見えます。
高層ビルがほとんどない京都ならではの眺望です。
上から眺めた音羽の滝
ここも普段はすごい人なんだけど……。
舞台を支える懸造りの構造。
釘を一本も使わず、高さ3メートルの柱に貫を通し、隙間を木のクサビで固定しています。
素晴らしい建築技術ですね。
改修工事を終えたばかりの清水の舞台。
檜皮葺の屋根が吹き替えられ、舞台の床も張り替えられました。
屋根には、適度に脂分を含んだ檜皮の渋い艶が感じ取れますが、ピカピカしすぎず、ほどよい落ち着き具合。
こうした見事な職人技が伝承されてきたことは驚きです。
京都の伝統文化の底力を感じさせます。
子安塔。
室町後期に再建された三重塔。
道内には千手観音が安置され、聖武天皇と光明皇后がこの観音に祈願され、孝謙天皇を無事に出産されたことから、子安観音として信仰されたといいます。
子安塔から見た清水の舞台。
舞台を正面から眺めるのは、子安塔が絶好のスポット。
緻密な造形と神業的な設計・建築技術。
そして何よりも、山や緑との調和がすばらしく、この美的感覚は日本ならでは。
人影もまばらなので、視界に雑多なものがなく、ほんとうに佳い景色。
音羽の滝。
清水寺の縁起と坂上田村麻呂の蝦夷征伐を描いた能《田村》の詞章を思い出します。
「青陽の影みどりにて、風のどかなる。音羽の滝の白糸の、くり返し返しても面白や」
京都を訪れると、いにしえの英雄やヒロインたちの息遣いが感じられ、遠い過去と現在が地続きになっているような感覚が味わえます。
懸造。
新緑がまぶしい。
清水寺は、渡来系の東漢氏(やまとのあやうじ)出身の坂上田村麻呂が私寺として建立した観音堂を起源とします。
東国の蝦夷平定を命じられたときに参拝したのも、この寺です。
その蝦夷討伐戦において田村麻呂と戦ったのが、蝦夷の首長アテルイと副将モレでした。
蝦夷軍は降伏しますが、田村麻呂は蝦夷たちを馴化するにはアテルイたちの協力が必要だと朝廷に説き、彼らの助命を願い出ます。
しかし、その願いは聞き入れられず、アテルイとモレたちは処刑されてしまうのです。
人権意識の薄かった古代においても、征服した先住民のリーダーの勇姿を称えるところが日本人らしくていいなあ、
と思っていたら、この石碑が建造されたのは1994年とのこと。
案外、最近なんですね。