2023年10月7日(土)
晴明神社の近くにある一条戻橋にも立ち寄ってみました。
平安時代中期、安倍晴明が使役した式神がこの橋の下に潜んでいて、橋を渡る人の口を借りてお告げをする「橋占(はしうら)」を行っていたといいます。
一条戻橋は、794年の平安遷都の際に、堀川を渡る橋として一条大路に架けられました。
現在も当時と同じ場所にあります。
「戻橋」という名前は、死人が生還してこの世に戻ってきたという『撰集抄』の仏教説話に由来します。
918年に漢学者・三善清行の葬列がこの橋を通ったとき、熊野で修業中だった息子が訃報を聞いて駆けつけ、父の棺にすがって祈ると、雷鳴が轟いて、清行が生き返り、父子が抱き合ったというお話です。
死者が生き還るありがたい戻橋ですが、嫁入り前の女性が渡ると出戻りになるので、この橋には近づいてはいけないという慣習があるそうです。
また、先の大戦では、出征前の人やその家族が無事の生還を祈ってこの橋を渡ったともいわれています。
一条戻橋にまつわるお話はいろいろありますが、有名なのは『源平盛衰記』剣巻に記された頼光四天王・渡辺綱と鬼女の物語でしょうか。
ある夜、渡辺綱が戻橋のたもとを通りかかると、美しい女房に家まで送ってほしいと頼まれて馬に乗せたところ、女が鬼に姿を変えたため、渡辺綱が鬼の腕を斬り落とします。
この時の太刀が名刀「鬼切丸(別名:髭切、銘:安綱)」として北野天満宮に奉納されています。
この鬼の正体は、宇治橋の鬼女「橋姫」だという説や、茨木童子だという説など諸説あるようです。
京都はいたるところに怨霊や妖怪のエピソードがあって、ワクワクします♪
一条戻橋が架かる堀川は、とても小さな川です。
戦後は下水道の整備によって水流がほぼ消滅していたようですが、近年、水流を復活させる事業が行われ、堀川の景観が復活したそうです。