奈良国立博物館「超国宝」展

2025年5月23日(金)

楽しみにしていた奈良博の「超国宝」展へ行ってきました。

シカさんたちに癒されながら奈良公園へ。


鹿せんべいって、deer biscuitsって言うんですね。
外国人観光客に大人気で、飛ぶように売れてました。




超国宝展

肝心の超国宝展は、その名の通り、普通の展覧会なら目玉となる名品ばかりがずらりと並ぶ、オールスター勢ぞろいの超豪華な展覧会でした!


綺羅星のごとく輝く名品の数々に目がくらみそうになりながら、閉館まで4時間かけて鑑賞。

照明の暗さが難点でしたが、お寺や神社では拝見できない角度&至近距離から鑑賞できて、新しい出会いや発見がありました。


以下は覚書です(番号は展示番号)。

(1)百済観音(法隆寺)国宝 飛鳥時代 7世紀 クスノキ一木造
像高2メートルを超える長身痩躯のお姿。
一切の無駄を削ぎ落した12頭身のプロポーションは7世紀当時の日本の美意識を反映しているのだろうか。
側面から見ると、その身体は虚弱体質気味にやや肩を丸めた姿勢で立ち、いまにも貧血で卒倒しそうにも見える。なぜ、この観音像はこのような頼りなげなお姿で作られたのだろう?
その表情は、飛鳥時代を代表する止利様式のアルカイックスマイルとも異なり、独特の笑みを浮かべている。今は剥落しているが、制作当初は彩色や乾漆が施されていたというから、もとは今とは異なる表情をしていたのかもしれない。
光背の支柱が竹を模して造られているのが特徴的(この特徴は本展覧会の最後に陳列されていた中宮寺弥勒菩薩に通じていた)。


(2)四天王立像・広目天多聞天法隆寺)国宝 飛鳥時代7世紀
飛鳥時代の本最古の四天王像。百済観音と様式が似ており、同時代に同じ作者によって作られたのではないかとも言われているが、それほど似た印象は受けなかった。四天王像よりも、四天王に踏みつけにされた邪鬼の硬直しつつも、どこかユーモラスな姿が印象的だった。


(10)弥勒菩薩坐像(試みの大仏)東大寺、国宝 平安時代9世紀
東大寺の大仏を造る際の雛型としてつくられたという伝承があることから「試みの大仏」という通称で呼ばれているが、実際には平安初期につくられた可能性が高いとされている像高39センチの小型の坐像。
お顔立ちも東大寺の大仏とは異なり、異国的な風貌。くっきりとした衣文表現も見ごたえ満点。


(11)重源上人坐像(東大寺)国宝 鎌倉時代13世紀
まるで即身成仏したお姿のような、恐ろしいほどリアルな肖像彫刻。
年老いた重源の顔や首のしわやたるみ、干からびた肌の質感のみならず、艱難辛苦を乗り越えた威厳ある老僧の息遣いや気骨、精神性までもが伝わってくる。見ているこちらが居住まいを正したくなるほどの気迫が感じられた。一説には運慶作ともいわれる傑作。


(18)金銅八角燈籠火袋羽目板(東大寺)国宝、奈良時代8世紀
東大寺大仏殿の前庭を照らす燈籠火袋の羽目板にかたどられた音声(おんじょう)菩薩。
楽器を奏し人々を救済に導く音声菩薩の優美さ、華麗さときたら……この方々の奏でる音色はさぞかし甘美なものだろうと想像させるほどの端麗な容姿。妙なる調べが聴こえてくるかのよう。
ふっくらとしたお顔立ちに、高く美しく結い上げた髻。ふんわりとカールした垂髪は唐草模様のように光背の花々と絡まり、繊細な瓔珞が豊かな髪や胸、腕を装飾する。
見る人を魅了してやまない美しいお姿だった。


(19)東大寺金堂鎮壇具 国宝 奈良時代8世紀
(20)興福寺金堂鎮壇具 国宝 奈良時代8世紀

鎮壇具とは、寺院を建立する際に地鎮のために土中に埋める宝物類のこと。東大寺興福寺の金堂下に埋められていた瑪瑙や水晶、ガラスや金塊、琥珀など色とりどりの宝玉や宝鏡が展示されていた。


(24)伝獅子吼菩薩立像(唐招提寺)国宝 奈良時代8世紀 カヤ一木造
(25)薬師如来立像(唐招提寺)国宝   奈良時代8世紀 カヤ一木造

カヤの一木造で製作された両像は、いずれも鑑真が唐からもたらした「豊満」を愛する美意識が反映されており、量感あふれる肉付きが観る者を圧倒する。
太腿の豊かな肉付きを強調するべく股間を流れる衣文を描いたY字形のドレープ表現も、唐招提寺様式の仏像の特徴のひとつ。とくに薬師如来立像ではその特徴がいかんなく発揮されていた。


(32)地蔵菩薩立像(東大寺)重文、鎌倉時代13世紀
快慶作の秀麗な菩薩像。剥落を免れた截金彩色がこの像の優美さをさらに引き立てていて、非の打ち所のない美のなかにいつまでも浸っていたかった。


(33)弥勒菩薩立像(奈良・林小路町自治会) 鎌倉時代13世紀
快慶作といってもいいほど快慶様式を備えた(おそらく慶派仏師による)美麗な弥勒菩薩像。
保存状態のよい色ガラスをあしらった瓔珞で荘厳されているところなど、町の自治会が代々大切に守りながら受け継がれてきたことも感じられた。


(50)八雷神面(元興寺)室町~江戸時代16~17世紀
国宝でも重要文化財でもないけれど、一種異様な存在感を放っていた怪異な面。
8つの顔を持つ雷神の面で、『日本霊異記』に登場する元興寺の鬼を道場法師が退治したという逸話をもとに作られたという。妖怪退治のほかにも雨乞いなどの御利益もあるそうだ。顔の上に顔がのり、顔の側面にも小さな顔がくっついていたりと、どこがどうなっているのか分からない奇妙な面だが、異様な妖気が漂うあたり、毒を以て毒を制すように、たしかに妖怪退治にはうってつけだったのだろう。
この造形を思いつき、制作した人のセンスに脱帽。


(65)釈迦如来坐像(室生寺)国宝 平安時代8世紀 カヤ一木造

全体像が二等辺三角形を構成する安定したプロポーションを持つ釈迦如来坐像。その衣文は肩から腹部、膝から裾へと流麗に波打ち、左胸やふくらはぎの上では装飾的に折れ曲がり、くるぶしからしっとりと垂れる衣の質感が伝わってくる。
平安初期に流行した翻波式衣文表現のお手本ともいえるような。


(66)釈迦如来立像(清凉寺)国宝 中国北宋時代 985年
本展覧会でもっとも感動し、圧倒された展示。
清凉寺釈迦如来像は、古代インドの憂填王が釈迦の在世中にその姿を写させた釈迦如来像を、北宋時代に中国の張兄弟が摸刻し、それを入宋僧の奝然が日本に請来したものと伝わる。
釈迦の生身の姿をそのまま写したため、清凉寺釈迦如来像の胎内には絹布でつくった五臓六腑が入っていたという。
古代インドでつくられた釈迦如来像は牛頭栴檀の木に彫られたが、中国でも刻されたものには魏氏桜桃が使われている。日本の仏像には見られない緻密で硬質な木の質感。両耳の穴に大きな水晶玉がはめ込まれているのも、日本の仏像にはあまり見られないものだ。
釈迦の生前の姿を再現しようとされているせいか、生々しく張りのある、ぬるりとした肉感が薄い衣を通して伝わってくる。

そして何よりも凄かったのが、釈迦如来像から放射される強力な「気」のパワーだ。
右手を施無畏印、左手を与願印に結んでいるが、こちらに向けられた掌からすさまじいエネルギーがビームのように放たれてくる。右手を釈迦のほうにかざしてみると、右掌にも、額の中央にも何かジンジンするような刺激が感じられた。

これほど強い「気」のパワー(霊力というべきものか?)を放つ仏像に出会ったのは初めてだった。

慈悲深い表情とはいえない。どちらかというと、厳めしく、恐い印象を受けるお顔立ちだ。
それでも、あのエネルギーを受けたくて、この像の前に何度も立ち戻ってしまう。よくわからないけれど、鑑賞の対象というよりも、その霊力に惹きつけられる不思議な仏像だった。



(69)金亀舎利塔(唐招提寺)国宝 鎌倉時代13世紀
亀の甲羅上の蓮台に舎利容器がのる黄金の舎利塔。鑑真が日本へ渡海する際に大事な舎利を誤って海に落としたところ、亀が舎利を甲羅にのせて浮かび上がってきたという逸話にもとづくものらしい。舎利を納める軸部の蓮華唐草の透かし彫りが美しく、亀の表情がどこかひょうきんなのが面白かった。


(76)動植綵絵「雪中鴛鴦図」「大鶏雌雄図」(皇居三の丸尚蔵館)国宝 江戸時代1759年
「雪中鴛鴦図」では裏表両面に胡粉を施した、ぼってりした雪の表現が秀逸。積雪の個所では部分的に胡粉の裏彩色が施され、裏彩色のない箇所との微妙な濃淡差があらわされていた。
そしてやっぱり目を見張るのは、鴛鴦や山鳩といった鳥の羽根の緻密な描写。曇天の雪のなかでひと際あざやかに、美しく描かれたみずみずしい鳥の羽、くちばしのツヤ、足のうろこや水かきの薄膜の質感。巧みな色と技の世界に吸い込まれそうになりながら見入っていた。


(78)菩薩半跏像(伝如意輪観音・宝菩提院願徳寺)国宝 奈良~平安時代8~9世紀
宝菩提院願徳寺は地図に載っていない京都一小さな拝観寺院だそうだが、それほど小さなお寺にこれほどまでに美しい菩薩像があったとは!
奈良から平安初期の仏像のなかでも、これほど洗練された像はないように思う。精緻な造形、慶派の名匠にも通じるほどの見事な技、やわらかくしっとりした質感を感じさせる繊細な衣文表現。
美の極致ともいうべきお姿の優美さ、お顔立ちの秀麗さ。
来歴は定かではない。如意輪観音と伝わるが、通常の如意輪観音像とは異なり、如意宝珠も法輪も持たず、腕も二臂しかなく、頬に指をあててもいない。どちらかというと、弥勒菩薩に近い気がする。
誰が何のために発願し、誰が彫ったのか、なぜこのお寺に安置されているのか、何もわかっていない。謎に包まれた仏さまである。
カヤの一木造というが、ヒビや割れが入りやすい一木造にしては、驚くほど保存状態がいい。
観れば観るほど私が抱いていた奈良~平安初期の木彫像のイメージを良い意味で打ち破る、謎めいた美しい仏像。
この仏さまに出会えただけでも、展覧会に足を運んだ甲斐があった!


(80)運慶作・円成寺大日如来坐像 国宝 平安時代1176年
円成寺大日如来を拝見するのは、2017年の東博「運慶展」以来である。
東博のほうが照明の加減が良かったのか、それとも超国宝展の並みいる名品の影にかすんでしまったのか、今回はそれほど強い印象を受けなかったし、細部もあまりよく見えなかったのは残念である。

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(86)山越阿弥陀図(京博)国宝 鎌倉時代13世紀
あの世へと旅立つ際、山(彼岸)の向こうから出現して往生者を迎えてくださる山越阿弥陀
截金や金泥に包まれてまばゆく輝く尊いお姿、楽器を奏でる菩薩たち。妙なる調べと美しい光のなか、阿弥陀さまの慈愛に包まれて死後の世界へ旅立つべく、阿弥陀さまの胸と掌には五色の糸が取り付けられていたという。臨終の信者が糸を握れば、安らかな死が約束されている。
ほんとうに、この絵を見ていると心が落ち着き、癒される。臨終の際、枕元にこの絵があればどれほど心強いだろう。


(97)釈迦金棺出現図(京博)国宝、平安時代11~12世紀
釈迦の入滅を嘆き悲しむ母・摩耶夫人に、無常の理を説くべく、釈迦が棺から身を起こすという『摩訶摩耶経』の一場面を描いた図。
キリストの復活のように釈迦も復活するのかと思ったが、この場面のあと、釈迦は再び棺のなかに身を沈めたらしい。
釈迦は80歳で入滅したので、このとき摩耶夫人は100歳に近かったのかも? という現実的な話はさておき。
截金・金泥で彩られた後光を放つ釈迦の厳かな姿と、我が子を愛おしそうに見つめる摩耶武人、そして奇跡を目の当たりにして驚愕と畏怖の表情を浮かべる僧や羅漢、信者たちの姿が、人々や動物たちが嘆き悲しむ仏涅槃図とは一味もふた味も違った趣きを見せていて、興味深い仏画だった。


(100)七支刀(石上神宮)国宝、古墳時代4世紀
昨年、石上神宮に参拝し、今年は本物の七支刀を拝見できるとは、うれしい限り。それにしても4世紀の鉄刀が、(CT検査で)銘が判読できるくらいにきれいに保存されているのは、日本の神刀・神剣信仰の賜物ではないだろうか。
百済から倭国に七支刀が贈られた理由については諸説あり、なかには百済王から神功皇后に「下賜」されたと言う学者もいるが、三韓征伐を行った勇猛果敢な神功皇后のこと、半島から畏れられて献上されたと考えるのが自然であろう。年代的にも、神功皇后摂政52年条(西暦372年)に「百済王から献上された」とする日本書紀の記述と合致しており、やはりこの七支刀とは、日本書紀に登場する「七枝刀」と思われる。


(143)中宮寺菩薩半跏像(伝如意輪観音)国宝 飛鳥時代7世紀 クスノキ寄木造
超国宝展でいちばん楽しみにしていた中宮寺弥勒菩薩
(「如意輪観音」と伝わるが、この像が作られた当初、日本には如意輪信仰はなく、図像変遷の歴史から「弥勒菩薩」だと思っているので以下「弥勒菩薩」の呼称で統一)。

中宮寺弥勒菩薩クスノキの寄木造だが、平安時代の定朝様式の量産向き寄木造ではなく、一回限りの特殊な寄木造でつくられたという。とくに別材でつくられた両脚部と台座の前面と後面との階段状の境目にはかなり隙間が空いていて、一目で分かるほどだった。
また、頭部や上腕部には釘跡が見られ、当初は頭飾や瓔珞がついていたことがうかがえる。

側面や背面にまわると、ほっそりした腰が際立ち、肩のあたりが華奢でか弱くみえる。こちらが守ってもらう仏さまではなく、守ってあげたくなるような仏さまだ。右頬に指をあてるポーズは、思索ではなく、恥じらいのポーズのようにも見える。左斜めからの角度がいちばん美しく見えるように感じた。

瞼の輪郭は線で括らず、段差だけで表現されており、それが神秘的で曖昧な表情を生み出し、観る者の想像力を掻き立てる。

お寺で拝見するのと美術館の展示で観るのとの違いかもしれないが、広隆寺で宝冠弥勒を観た時は、自分の気持ちや苦しみを分かってくださるような心理的な交流を感じることができたが、この中宮寺弥勒菩薩とは(人混みのなかで拝見したからかもしれないが)スピリチュアルな結びつきは感じられず、鑑賞者と鑑賞対象という冷たい関係に終始したのは少し残念だった。

面白かったのは、先の百済観音と同様、中宮寺弥勒菩薩も光背が竹形の支柱で支えられていたこと。
百済観音も、中宮寺弥勒菩薩も、ともに聖徳太子ゆかりの寺に安置された仏像であり、どちらも聖徳太子の分身としてつくられたという説もある。
百済観音と中宮寺弥勒菩薩、なにかつながりがあるのだろうか?
そんな謎に後ろ髪を引かれる思いで、本展覧会最後の白い展示室をあとにした。