石清水八幡宮

2022年5月5日

今年のGWはお天気にも恵まれ、人出が多くて、久しぶりに連休らしい連休でしたね。
最終日は、石清水八幡宮へ行ってきました~!

ケーブルカー

石清水八幡宮本殿のある男山山頂へは、石清水八幡宮駅から出ているケーブルカーで行くことができます。
この日は午後だけの半日旅行だったのですが、ケーブルに乗ると旅行気分満点!😊


山頂までの参道には見どころが多いので、登山時だけケーブルを使い、下山時は徒歩にしました。

参道の道順が分かりやすいように、ここでは麓から山頂までの道のりをご紹介します。





一の鳥居

一の鳥居の扁額は、平安時代の名筆家・藤原行成の筆蹟を江戸期の松花堂照乗が書写したもの。

鳥居の奥に見えるのが、頓宮です。






頓宮

頓宮は、年に一度の勅祭・石清水祭の時に、鳳輦に乗せた御神霊が遷される仮宮です。

仮宮とは思えないほど、立派な佇まい。
あまりにも立派な御殿の構えなので、 仁和寺の僧侶が石清水八幡宮の本殿と間違えて、山頂には登らずに、ここで拝んで帰ってしまったという逸話が『徒然草』に書かれています。

頓宮を見るだけでも、八幡大神がどれほど篤く信仰されていたかがわかりますね。





頓宮伽藍

とはいえ、現在の社殿は20世紀初めに再建されたもの。
オリジナルの頓宮は1868年の鳥羽伏見の戦いで焼失してしまったようです(>_<)。







安居橋

放生川にかかる太鼓橋・安居橋(あんごばし)。

放生会の際には、この橋の上でお祓いや祝詞奏上、胡蝶の舞や放魚・放鳥などの放生行事が行われるそうです。

今度はお祭りのときに、ぜひ訪れてみたい!







高良神社

鎌倉時代宇佐神宮の縁起『八幡愚童訓』によると、高良(こうら)大明神は住吉大明神の子で、「月神」とも称したといいます。

神功皇后三韓征伐の際、高良大明神は副将軍となり、大将軍の住吉大明神とともに48隻からなる船団を率いたとされています。

竜宮から干珠・満珠を授かった高良大明神は、干珠を海に投じて水を干上がらせ、そこへ敵軍がどっと攻めてきたのを見て、今度は満珠を投じて海を水で満たし、敵を海に沈めて滅ぼしたとされています。


高良神社が、玉垂宮と呼ばれるのは、高良大明神が干珠・満珠を海に投じたことにちなむそうです。

古代史ロマンと神話の世界が交錯するお社ですね。







頼朝松

数多の武将から崇敬を集めてきた石清水八幡宮

源頼朝も5回ほど参詣して、永遠の繁栄のシンボルである松を植え、以下の歌を詠んでいます。

「石清水たのみをかくる人はみな、久しく世にもすむとこそ聞け」頼朝


現在の松は、頼朝お手植えの老松の二代目だそうですが、飛龍のような勢いのある枝ぶりと鱗のような樹皮に鎌倉武将の覇気がみなぎっているのを感じました。





相槌稲荷

相槌稲荷といえば、京都三条にある三条小鍛冶宗近の相槌を打った狐を祀る合槌神社が有名ですが(合槌神社の過去記事はこちら)、ここの相槌稲荷は、平安時代の刀工・大原五郎太夫安綱が山ノ井の水を使って刀を鍛造したとき、神がやって来て相槌を打ったことに由来するそうです。

この神社では、相槌を打った神さまが祀られており、「山ノ井」という井戸もその隣に大切に保存されていました。

おそらく男山の湧き水自体も信仰の対象なんでしょうね。






キジバトさん

男山の参道を歩いていると、可愛いキジバトさんに出会いました。

石清水八幡宮では鳩は神さまの使いだから、八幡さまが迎え入れてくださった証のような気がします。

キジバト夫婦円満のシンボルらしいですよ♪





大扉稲荷

江戸末期にここでお祈りをした人が富くじを当てて大評判になったとか。






影清塚

「影清」と聞いて、「もしかすると、お能で有名な平氏の悪七兵衛景清の塚かな?」と思ったら、違うようです。


ここには、かつて瀬織姫を祀る祓谷社があり、6月と12月の大祓では人形(ひとがた)を流す祓いの行事が行われ、参拝者もここの清水に自分の姿を映して心身を清めたことから、影(姿)を清める「影清塚」と呼ばれているとのこと。

自分の影を映して清めようと、手水鉢の水をのぞき込んだら、ボウフラがいっぱいいて蚊が襲ってきたので急いで退散しました💦
(虫よけスプレーしてきてよかった😊)






松花堂跡

扁額のところで紹介した松花堂昭乗
石清水八幡宮境内にあった瀧本坊の住職を務めた昭乗が「松花堂」という方丈を建てて住んでいた遺構です。

松花堂昭乗が考案した器を参考にして、吉兆の創始者が茶会の点心として出したのが松花堂弁当の起源とされています。







石清水社

草木のうっそうと生い茂る山の参道のなか、おごそかな霊気を感じさせる石清水社。

ここには、いにしえから石清水に座す神だった天之御中主神が祀られています。
聖なる水の神さまなのでしょうね。

右手に見えるのが、石清水社本殿。
正面に見える切妻屋根の建物が、石清水井を覆う泉殿。






石清水井

現在も湧き出ている石清水。

石清水井の水は、古くから霊水として皇室や将軍家の祈祷に献供されてきました。

この石清水社と石清水井あたりは、神聖なエネルギーを感じさせる強力なパワースポット。

昔から人々は、ここで心身の穢れを祓い、魂を清め、山と霊水からパワーをいただいてきたんだろうなあ。。。





南総門

さて、石清水八幡宮の南総門です。





本殿

本殿は信長・秀吉・秀頼らによる修復再建を経て、1934年に徳川家光によって修造されました。

御祭神は、八幡大神
八幡大神は、応神天皇神功皇后、比咩大神の三柱の総称です。

神功皇后応神天皇の母子神と、比咩大神とは、本来は別系統の神々だったとされています。


八幡神記紀には登場しない神さまで、もとは九州地方で新羅系渡来人が信仰していた一地方神にすぎなかったという説があります。

聖武天皇の大仏建立や、弓削道鏡八幡神の託宣を利用して皇位に就こうとした「宇佐八幡神託事件」などで八幡神の託宣の威力がクローズアップされ、その過程で応神天皇神功皇后信仰と結びついていったようです。

比咩大神(宗像三女神)は、応神天皇が祀られる以前から宇佐宮に祀られていた神さまで、御許山に降臨したとされる宇佐地方固有の地主神さまです。


いろんな要素が混じり合った複合的な存在が、八幡大神なのですね。





本殿正面の彫刻

上段は龍虎の彫刻。

蟇股には、神使で八幡宮のシンボルでもある鳩。二羽の鳩は、阿吽の形式になっています。

鳩の飛翔は瑞兆として武将たちに尊ばれてきました。






美しい朱塗りの社殿

平成の大修造を終えて美しくよみがえった社殿。

朱塗りや彩色も一新され、輝くばかりの美しさ!






八幡造

切妻屋根を二つ連ねた本殿は内殿と外殿に分かれ、「八幡造」と呼ばれています。
神さまは、昼間は外殿に出て、夜は内殿で休まれ、休息しながら力を蓄えるそうです。

内殿と外殿のあいだには、織田信長が奉納した全長21.7メートルの「黄金の雨樋」が渡されています。







不思議なゾウ

石清水八幡宮の彫刻もユニークで見応えがあります。

こちらは、肉球ついた足を持つゾウ。

実物を見たことがないから、イマジネーションを働かせてつくったんですね。

緑色の甲羅を持つサイや、空想上の獏の彫刻もあり、当時の名工たちの自由な発想が面白い。







目貫きの猿

こちらは、社殿内部にある左甚五郎作と伝えられる「目貫きの猿」。

彫刻の猿が夜な夜な動き回っていたずらをするので、目に竹釘を打ちつけられたそうです。

残念ながら社殿内部には一般参拝者は入れないので、写真でしか見ることができませんでした(>_<)






大楠と信長塀

楠木正成が必勝祈願に奉納した大楠と、織田信長が造営した信長塀。

偉大な武将たちの篤い信仰心が伝わってきます。





若宮社

応神天皇の皇子・仁徳天皇が祀られています。
若宮社は、男性を守護してくださるそうです。

春日若宮などと同様に、若宮は荒々しく強い力を持った神さま。強力なエネルギーを授けてくださいます。







若宮殿社

その隣に鎮座する少し小ぶりのお宮は、若宮殿社。
応神天皇の皇女が祀られており、女性の守護神として信仰されています。

優しく穏やかなエネルギーに満ちていて、私もあやかりたいものです😊