2023年10月22日(日)
次の大河ドラマは平安時代の王朝ドラマ『光る君へ』。なので、来年は京都ブームが巻き起こって凄い人手になりそうなので、今年のうちに時代祭に行ってきました。
(今年もすでにオーバーツーリズムですが(^_^;)
時代祭は平安神宮の大祭で、平安遷都1100年を祝う行事として1895年に始まりました。京都三大祭の中ではいちばん新しいお祭りです。
明治維新から平安初期までの各時代の行列が、平安神宮の御祭神(桓武天皇と孝明天皇)の神霊を乗せた鳳輦をお供をする「行列進発」が祭りのハイライトになります。
緻密な時代考証と京都の伝統技法によって時代ごとの装束・調度品が忠実に再現された絢爛豪華な行列は、まさに「生きた時代絵巻」。
実際に間近で拝見して、細部まで凝りに凝った装束・髪型・祭具・武具・化粧は、どれも息をのむほど素晴らしく、京都の町と人々の祭りへの情熱に圧倒されました。
第1列:明治維新時代
時代祭の行列は、京都が日本の首都として繁栄した最後の時代「明治維新時代」から始まります。
「ピーヒャラ、ドンドンドン」と、鼓笛隊が笛と太鼓を奏しながら進んでいく「維新勤王隊列」。
明治維新の際に、丹波国北桑田郡山国村の有志たちが山国隊を組織し、官軍に参加した際の様子を復元したものです。
鼓笛隊の前後には、赤熊をかぶった騎馬隊や鉄砲を携えた鉄砲隊が続きます。
こちらは「幕末志士列」。
桂小五郎や西郷吉之助(隆盛)、坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作などお馴染みの幕末の志士たちが行進します。
登場する歴史的人物には、ネームプレートが掲げられているので分かりやすい♪
「七卿落」は、1863年の政変で倒幕運動に敗れた七人の公卿が京都から追放された事件を再現したもの。
三条実美や近衛忠熙ら七人の公卿のほかに、彼らを護衛した久坂玄瑞や真木和泉ら志士も付き従っていました。
写真のように長~い裾(きょ)を引きずるところが、いかにもお公家さんらしいですね。
第2列:江戸時代
「徳川上洛列」は、朝廷の大事な儀式の際に徳川幕府が京に遣わした城使の行列を再現したもの。
金の高蒔絵が施された駕籠も見事でした。
面白かったのが、奴や挟箱持のパフォーマンス。
掛け声をかけながら、挟箱や毛槍を掲げたり投げ渡したりして拍手喝采を浴びていました。
気風と威勢のよさがいかにも江戸っ子らしい。
時代祭は扮装だけでなくそれぞれの時代の空気も再現していて、行列ごとにガラリと雰囲気が変わります。そこがまた面白い!
幕末から江戸初期に活躍した女性たちの列です。
こちらは和宮。
婦人列の女性たちは、有職美容師によって御垂髪(おしべらかし)等のすべての髪型が地髪で結われているそうです。
大きなかんざしもつけず、高下駄も履いていない、割とあっさりした吉野太夫。
江戸初期の太夫は装束も髪型も比較的シンプルだったんですね。
京都島原の最高級の遊女「太夫」を真似てできたのが、江戸吉原の「花魁」だともいわれています。
女が観てもホレボレします。
第3列:安土桃山時代
1596年に豊臣秀頼が朝廷に参上した時の様子をあらわした「豊公参朝列」。
ビロウの葉で葺いた最高様式の牛車「檳榔毛唐庇車」に秀頼が乗っているという設定です。
牛童や牛飼の衣装も鮮やかで、牛の飾りも豪華で美しい。
秀吉亡きあとも豊臣家の威光を示すべく、淀君たちがいかに腐心したかが伝わってきます。
「織田公上洛列」は、1568年の織田信長上洛の様子を再現したもの。
信長をはじめ、家来だった羽柴秀吉、丹羽長秀、柴田勝家らが続きます。
写真は、馬上姿がいちばんサマになっていた滝川一益。ヴァイキングのような兜がカッコいい!
第4列:室町時代
「室町幕府執政列」は、足利将軍と将軍に従う執政(三管領・四職)たちの行列です。
管領の甲冑・装束も見事ですが、従者たちの衣装もそれぞれ凝っていて見応えがあります。
室町期に町衆のあいだで流行した「風流踊り」を再現した「室町洛中風俗列」。
風流傘を中心に、囃子方で構成する「中踊り」と、小袖姿で踊る「側踊り」から成ります。
どこか中国風の奇抜な衣装が目を引きます。
風流踊は全国に伝わってさまざまな芸能の源流となり、江戸期以降に発達した盆踊りの原型になったともいわれています。
風流踊りといえば「ささら」。
先を縦に細かく割った竹(ささら竹)と、細かい刻みを入れた木棒(ささらこ)をこすり合わせて使う楽器です。「ジャッジャ」という独特の音が印象的でした。
(5)吉野時代
1331年に、後醍醐天皇が隠岐より還幸される際に、その上洛を導いた楠木正成の行列をあらわしたもの。
皇居など各地にある楠木正成像を彷彿とさせる堂々たる勇姿ですね。
「大原女」は、京都・大原でとれた薪や炭、農作物などを頭に乗せて京の都まで行商に出ていた女性たちのことです。
荷物を頭に乗せてバランスよく長時間歩くことで、体幹が鍛えられたのでしょうね。
「桂女(かつらめ)」とは、桂川を越えて京の町に鮎や飴を売りに来ていた女性たちのこと。
また、白い布を頭に抜いて「鬘(かつら)」をつけていたことから「桂女」と呼ばれたという説もあります。
婚礼や出産の際に訪れて、巫女のように祝福したり、助産婦の役割を果たしたりもしたといいます。
中世に限らず古代から、日本は女性が活躍した国だったんですね。
大原女や桂女のあとは、中世の有名女性が続きます。
こちらは淀君。
淀君と静御前ではずいぶん時代が開いている気がしますが、考えてみるとどちらも中世の女性だったんですね。
(6)鎌倉時代
「城南流鏑馬列」は、1221年に後鳥羽天皇が朝廷の権威回復のため、城南離宮(鳥羽離宮)で1700名の武士に行わせた流鏑馬の行列を再現したもの。
鎌倉時代の行列は、この「城南流鏑馬列」しかないんですね……ちょっと寂しい気が。
源実朝暗殺後、鎌倉将軍を摂関家や皇族から迎えたとはいえ、京の人々にとって、鎌倉時代は縁遠いものだったからかもしれません。
(7)藤原時代
「この世をば我が世とぞ思ふ」の歌のように藤原氏が隆盛を誇った平安中期の様子を表現した「藤原公卿参朝列」。
とはいえ、甲冑姿の武者行列よりもなんとなく地味に見えてしまいます。
「平安婦人列」は京都五花街の中から三花街の芸舞妓さんが担当するので、ひときわ華やか。
芸妓さんたちは日頃から舞踊の御稽古をされているので体幹が鍛えられているのでしょう。巴御前の騎馬姿も腰がしっかり入って、凛々しく素敵でした。
和気広虫は孤児たちの養育に励んだことで知られる女性。この行列でも、孤児たちを男女2名づつ従えています。
平安時代婦人列に加わっていますが、どちらかといえば奈良時代末期に活躍した人物なので、装束なども奈良時代のものですね。
こちらも奈良時代末から平安初期に活躍した女性なので、衣装も髪型も化粧も奈良時代風です。
(8)延暦時代
「延暦武官行進列」は、坂上田村麻呂が東征を終えて平安京に凱旋する様子を再現したもの。
法螺貝を吹き、太鼓を鳴らす晴れやかな凱旋の行列です。
甲冑や武具のデザインも鎌倉時代や戦国時代のものとは違っていて、そうした変遷を眺めることができるのも時代祭の醍醐味ですね。
延暦時代の公卿諸臣が朝廷に参上するときの行列。
こちらも奈良時代末から平安初期の時代の変わり目なので、唐の影響を受けた奈良時代の雰囲気ですね。
ここからは御神幸の列になります。
まずは、神饌物を奉納する人たちの「神饌講社列」。
つづいて迦陵頻伽と胡蝶の列。
朱色の衣に鳥の羽をつけているのが「迦陵頻伽」、緑色の衣に蝶の羽をつけているのが「胡蝶」です。
華やかで愛らしい。
雅楽の楽器と奏者たちの列。
御祭神をのせた御鳳輦。
先を行く御鳳輦には孝明天皇が、その後ろの御鳳輦には桓武天皇が祀られています。
白川女は、比叡山の裾野・白川に咲く花を京の町で販売していた女性たちで、平安中期から御所に花と届けていたとされています。
頭に載せているのは神前に供える花々なので、造花ではなく生花でした。
弓道の名人たちの子孫によってつくられた弓箭組の列。
平安遷都の際、桓武天皇の列の警護にあたったといわれ、明治維新の際にも山国隊とともに活躍したといいます。
というわけで、3時間近くずっと立ちっぱなしで鑑賞していましたが、各時代の装束や風俗などが目の前で展開するさまが興味深くて、夢中になってみていました。
総勢2000名の行列も凄いですが、あまりの長丁場に牛さん・馬さんがムズがり出して、いななくお馬さんや暴れそうになるお馬さん、動かなくなる牛さんなど扱いが大変そうでしたが、事故もなく見事に成功させた京都の人々のパワーと団結力に脱帽です。
「生きた時代絵巻」という言葉がけっして誇張ではないことを実感しました。素晴らしかったです。