2023年6月24日(土)
京都や奈良の古社寺をめぐっていると、出雲系氏族の集落の名残りに出会うことがあります。
大神神社の出雲屋敷や、長谷寺の出雲の里、そして、この下鴨神社周辺の出雲郷も。
下鴨神社周辺のこの地域は、かつては上出雲・下出雲と呼ばれていました。
7世紀後半~8世紀初めから出雲氏の人々が集落を営み、その氏寺である出雲寺(上出雲寺)が創建されたといいます。
出雲氏は、アメノホヒ(国譲り神話で高天原から大国主神のもとに遣わされたが、大国主神に心酔して出雲に住み着いた神さま)を始祖とする氏族で、平安京造営以前に、出雲から丹波を経て京に移住し、大きな勢力を築きました。
出雲氏の名から「出雲郷」の地名が生まれ、現在も下鴨神社周辺には「出雲路橋」や「出雲路」という橋の名や地名が残っています。
出雲氏が創建した上出雲寺・下出雲寺は現存しませんが、これから向かう上御霊神社境内付近に上出雲寺が存在していたと考えられています。
桓武天皇の時代、各地で疫病が流行していました。これを御霊の祟りとして、非業の死を遂げた早良親王(桓武天皇の弟)を祀ったのが御霊神社の始まりです。
また前述のように、この地には平安遷都以前から上出雲寺があり、上御霊神社はもとは上出雲寺の鎮守社だったともいわれています。
舞殿の前には、この日つくられたばかりの茅の輪が設置されていました。
6月30日の夏越の大祓式では、茅の輪くぐりの他にも、人形に託した罪穢れを祓うお焚き上げが行われるそうです。
茅の輪のくぐり方が解説されていました。
「祓え給い 清め給え 守り給い 幸(さきわ)え給え」と心の中で唱えるんですね。
私たちも茅の輪をくぐって半年間の穢れを祓ったあと、お参りをさせていただきました。
現在の御祭神は、早良親王、井上大皇后、他戸親王、藤原大夫人など桓武天皇周辺の御霊と、橘大夫、文大夫ら謀反の罪を着せられた高官、火雷神(以上六柱の荒魂)、そして吉備真備の八柱「八所御霊」です。
吉備真備をのぞく七柱の神々は、いずれも政争に巻き込まれて憤死した人々で、その怨霊を鎮めるために創建されたのが、この上御霊神社でした。
こちらが舞殿です。
舞殿には三十六歌仙の絵馬が奉納されていました。
1467年、管領・畠山政長(バックに細川勝元)が上御霊神社の森に布陣し、そこに畠山義就(バックに山名宗全)が攻めよせて上御霊神社の戦いが始まります。
これが応仁の乱の前哨戦となりました。
京都では今でも「先の大戦」といえば「応仁の乱」を指すといわれるくらいだから、その戦禍たるや凄まじいものだったのでしょう。
(それだけ京都では太平洋戦争の被害が少なかったということでもありますが。)
境内には「清明心の像」(司馬温公の瓶割り)も。
北宋の時代、司馬温公(『資治通鑑』を書いた政治家)が子供のころ、大きな水瓶に落ちた友達を助けるために石で瓶を割ったという有名な故事。日本でいう一休さん伝承みたいなものでしょうか。
子供のころ絵本で読んだお話、なつかしいな。
お稲荷さんもあったのですが、夕方近くで蚊が多くて、あっという間に6か所も刺されたので、早々に退散💦
下鴨神社周辺の散策、なかなか充実していて面白かったです。