2024年1月2日(火)
お正月らしいしつらえの西本願寺。
こちらも京都にしては、初詣の参拝者がそれほど多くなく穴場でした。
(人気の初詣スポットはお参りするだけでも30分~1時間は並びますから💦)
西本願寺は豊臣家の庇護を受け、東本願寺は徳川家の庇護を受けたため、幕末においても西本願寺は倒幕派、東本願寺は佐幕派のスタンスを取っていました。
しかし、新撰組は池田屋騒動のあと隊士が増加したためと、討幕派の動きを監視するため、壬生から西本願寺へ屯所を移します。そして、この太鼓楼と北集会所を使用して「新撰組本陣」にしたそうです。
シックで重厚感のある阿弥陀堂門。
こちらは1760年に再建、1985年に修復された国宝・阿弥陀堂。
御影堂門です。
落ち着きのある感じがいいですね。
1636年に再建された国宝・御影堂。
多くの信者さんたちを包み込むような、あたたかい包容力を感じさせます。
こちらが国宝・飛雲閣。
通常非公開なので、塀越しに二層と三層を撮影しました。
二層には寄棟造りに小さな軒唐破風が配され、内部の「歌仙の間」に描かれた三十六歌仙図が外壁の板にも複製されています。
外から垣間見るだけでもこれだけ美しいのだから、池に浮かぶように建つ楼閣を間近で見れば、さぞや……。
と思って調べてみると、昨年末に特別公開があったそうです。
「特別公開」といっても、中に入れるわけではなく、池越しに見学するだけなんですけどね。
かつて阿弥陀堂と御影堂にお供えする仏飯を炊事していた建物。
桃山時代の豪華な装飾彫刻をいまに伝える国宝・唐門。
以前、降誕会の祝賀能を拝見した時に、唐門をはじめ書院や南能舞台も拝見したのですが、何度見ても素晴らしいですね。
降誕会の様子はこちらの記事に↓
降誕会で拝見した時は修復工事中だったのですが、修復を終え、色あざやかに蘇りました。
辰年なので縁起がいいですね。
唐門の側面には中国の「許由単父」の故事にもとづいた彫刻が施されています。
許由と単父は、俗世での出世を嫌う中国の伝説上の高士です。
聖帝尭から「天下を譲る」と言われた許由は、「耳が穢れた」と言って川で水を洗い、箕山に隠れます。
単父は、穢れた耳を洗った川の水を牛に飲ませることはできないと、牛を牽いて引き返したというお話です。
まあ、現実の政治の世界は「清濁併せ呑む」どころか、「清」がちょっとで、あとはひたすら「濁・濁・濁・濁・濁……」を呑み込む世界ですから~♪
西本願寺を出たあと、京都駅まで歩きながら伝道院を鑑賞しました。
伝道院は、1912年に真宗信徒生命保険会社の社屋として建てられました。
設計は明治の巨匠・伊東忠太。
伝道院は生保会社から銀行や診療所などを経て、現在は僧侶の教育施設になっています。
一見すると何様式かわからないような、さまざまな建築スタイルの折衷様式になっているところが面白いですね。
外壁に煉瓦色の化粧タイルを張り、花崗岩の白帯を巡らせるなど英国風の様式があるかと思えば、インド・イスラム様式のドーム、中国風の高欄、日本的な千鳥破風や禅宗様式の花頭窓など、さまざまな要素をまとめあげ、ひとつの完成形にもっていくところは伊東忠太ならではのデザインセンスなのかも。
伝道院の周囲にはゴシック建築の装飾怪獣のようなユニークな生き物のオブジェが並んでいます。
これはグリフィンかな?
こちらはゾウでしょうか?
こういうのが普通に残っているところが京都なんですね。