2023年6月17日(土)
素盞雄神社から初瀬川沿いを下って桜馬場を過ぎると、 與喜天満神社の参道が見えてきます。
まずは鳥居までの階段を上っていきます。
奈良は坂が多いですね。
鳥居前で一息ついて、
さらに、男杉と女杉が左右に立つ階段を上っていきます。
こちらの階段はかなり苔むしていて、人がめったに通らない様子。
参拝者が少ないのかな?
と思ったら、階段とは別の参道があるらしく、参拝者たちが反対方向から坂道を登ってお参りをされていました。
中央の社殿には「屋上屋を架す」ではないですが、通常の屋根の上に、さらに大きな屋根が架っているという独特の造り。
こちらを睥睨するような堂々たる威容に圧倒されます。 カッコいい神社ですね。
創建は、菅原道真が長谷の地に影向した946年とされ、與喜山に鎮座した菅原道真を祀る與喜天満神社は日本初の天神社といわれています。
本殿右側には瀧蔵権現社(伊弉諾・伊弉冉・速玉命)が、左側には白大夫社(渡海春彦)と桜葉社(伊予親王)が祀られています。
菅原道真が地主神として與喜山に鎮座したのは平安時代ですが、それよりはるか昔には、この山は天照大神が地上に初めて降臨した聖なる山として信仰されていました。
古代、與喜山は「大泊瀬山」と呼ばれ、この山から太陽が昇って大和の地を照らす「太陽信仰」の聖地でした。
太陽神である天照大神が最初に降り立ったこの山にこそ、崇神天皇の皇女・豊鍬入姫が斎宮として奉祀した元伊勢「伊豆加志本宮」があったのではないかと考えられています。
境内には古代信仰の名残りである磐座が残されていました。
上の写真は、太玉命をあらわす掌石。
こちらは天照大神の磐座「鵝形石」。ほかにも、天児屋根命をあらわす「沓形石」があるようですが、ちょっと見つからず。
これら三つの磐座はそれぞれ「天の岩戸」に登場する神々で、岩戸開きの様子を再現しているともいわれています。
この世の暗闇に、ふたたび太陽の光が照らされたときの喜びが磐座で再現され、その磐座を通じて、人々が太陽の恵みを信仰していたのでしょう。
與喜山には天照大神が降臨し、その西の三輪山には大物主大神が鎮座する━━。
三輪山から初瀬山、そして與喜山に至る山塊全体が太陽信仰の聖地であり、こうした古代信仰の源流が、伊勢と三輪の大神を一体分身であるとした三輪流神道へと受け継がれていったのかもしれません。
古代の一大宗教センターだった初瀬の地はとても魅力的な場所でした。