2023年6月24日(土)
賀茂川と高野川が合流する只洲(ただす)の河原に祀られたことから名付けられた河合神社。
鴨川の河川法の正式名称は「鴨川」ですが、地元では鴨川デルタを境に、上流が「賀茂川」、下流が「鴨川」と使い分けられています。
河合神社は鴨長明ゆかりのお社としても知られています。
河合社の禰宜の子としてこの地で幼少期を過ごした長明は、この神社の禰宜に就任することを望んでいましたが、一族内の権力闘争に敗れ、50歳で出家して隠遁生活を送ります。
そこで生まれたのが、あの『方丈記』でした。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし」
『方丈記』には、水の神々を祀り、清らかな水の流れる下鴨の社がはぐくんだ世捨て人の感性が、無常観とともに流れています。
海の神さま・大綿津見神の娘である玉依姫命も水との関係が深く、また美人の神さまとしても信仰を集めています。
美容祈願の女性たちが数多く参拝していました。
河合神社でよく知られるのが、この鏡絵馬。
心身ともに美しくなれることを祈願して、鏡絵馬に化粧品や色鉛筆でお化粧をして奉納します。
ハチミツ入りの「かりん美人水」。
飲めば美人になる(?)とのことで、これも女性参拝者に人気でした。
下鴨神社の主祭神・賀茂建角身命と、その妻・伊可古夜日売命、そして両神の娘・玉依日売命が祀られています。
伊可古夜日売命は丹波の出身。その昔、賀茂氏が丹波の豪族と姻戚関係を結んだことを示しています。
三井社は、下鴨神社の境内にも祀られています。
木々が鬱蒼と生い茂る糺の森。
きれいな水と空気のなか、森林浴ができる素敵な場所です。
昔から数々の和歌に下鴨神社周辺のことが詠まれていますが、とくに有名なのが、百人一首にも採られた藤原家隆の次の歌ではないでしょうか。
「風そよぐならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける」
歌に詠まれた「楢の小川」とは、現在では下鴨社の御手洗池から湧きだした水が「御手洗川」として境内を流れ、河合神社辺りから「瀬見の小川」となっている川です。
賀茂社の古縁起によると、その昔、賀茂氏の始祖・賀茂建角身命が神武天皇に随行して熊野に至り、さらに大和から葛城に移住し、そこから北進して賀茂川と桂川の合流点に到着、賀茂川を見て「小さいが美しい川だ!」と感動したことから、この川を「石川の瀬見の小川」と名づけたといいます。
玉依日売が賀茂別雷命を産む丹塗矢伝説でも、「石川の瀬見の小川(賀茂川)」から丹塗り矢が流れてきて、それを玉依日売が持ち帰って床の辺に置いたところ、懐妊したことが伝わっています。
これと同様の丹塗矢伝説が、神武天皇皇后の出生譚や秦氏の神話伝承にもあり、興趣が尽きないところですが、話が長くなるのでいずれまた書きたいと思います。
末社・河崎社(こうさきのやしろ)は、もとは現在の京都大学辺りから田中神社一帯にあった鴨氏の集落のお社でした。
この集落は、鴨長明一族が住む「鴨村」だったといいます。
さまざまな変遷を経て、この地に再興されたようです。
鴨氏二十二譜始祖神を祀る摂社・二十二所社。
このお社は、21年ごとの遷宮に合わせて開帳する珍しいお社とのこと。
面白かったのが、この雑太社(さわたしゃ)。
御祭神は、神魂命と賀茂建角身命。
社殿前のラグビーボール型のオブジェは、御祭神の神魂命(かんたまのみこと)の「魂(たま)」が「球(たま)」に通じるとして、明治43(1910)年、糺の森で初のラグビー練習が行われたことから、「第一蹴の聖地」として建てられた記念碑だそうです。
本坪鈴もラグビーボールの形をしていてユニークですね。
下鴨神社の神域には、お清めの水があちこちに流れていて、心身の穢れを祓うことができます。
この垂水の解説板には、「広大な神の森の滴(しずく)をいただき、岩から流れる清水を両手に受け、身体にそそぎ、御生(みあれ)をしてご神威をお受けください」と書かれていました。
摂社・河合神社をすぎて、下鴨神社に向かいます(つづく)。