2023年6月24日(土)
神武天皇の御代に御祭神の賀茂建角身命が御蔭山に降臨し、677年に、賀茂川と高野川が合流するこの河合の地に社殿が造営されたといいます。
鳥居を抜けてすぐ右手にあるのが「君が代」にうたわれた「さざれ石」。
さざれ石(細石)とは小さな石が集まったもので、神社の解説によると「火山の噴火により石灰石が分離集積して凝固した岩石」のことだそうです。
また、「さざれ石は年とともに成長し、岩となると信じられている神霊の宿る石」ともいいます。
なるほど、だから「さざれ石の巌となりて」なんですね。
古代から続く「生石(いきいし)」信仰がベースとなって「君が代」がつくられたことが分かります。
近寄るのも畏れ多いような、オーラの強い霊石でした。
さざれ石の隣には、縁結びの神さま・相生社があります。
御祭神は産霊神(むすびのかみ)。
産霊神は、高皇御産霊神(たかみむすひのかみ)・神皇産霊神(かみむすひのかみ)ともいい、天地・万物を生み出す天地開闢の造化三神の一柱ですね。
写真は縁結びの御神木「連理の賢木(さかき)」で、縁結びの神さまの御神威によって二本の木が一本に結ばれたものと言い伝えられていて、「京の七不思議」のひとつにも数えられています。
森の緑に朱塗りの楼門(重要文化財)が美しく映えます。
葵祭の社頭の儀で「東遊」が奉納される舞殿。
右手に和装の人たちが見えますが、この日は6月の休日なので神前結婚式が行われていました。
日本人らしい和装の結婚式はいつ見てもいいものですね。
拝所からは見えにくいのですが、本殿では西殿に賀茂氏の始祖・賀茂建角身命、東殿にその娘で賀茂別雷命の母・玉依姫命が祀られています。
京の都を潤し、育み、時に猛威を振るった賀茂川を静かに見守り続けた神さまたちの厳かな社殿です。
言社は、七つの名をもつ大国主命が祀られる七つのお社で、それぞれが十二支の守り神になります。
自分や家族の干支にあたるお社をお参りすることができます。
古代は言葉も数も信仰の対象でした。賀茂氏は、独自の数字と暦と詞をもち、それを信仰していました。平安中期には陰陽道の大家・賀茂忠行・保憲父子を輩出し、その弟子の安倍晴明が興した安倍氏と並ぶ陰陽道の宗家となり、その子孫は暦道を伝えたといいます。
言社の七つのお社の数や位置、方角や神の名にも意味がありそうですね。
こちらの三井社は河合神社の三井社と同じ御祭神です。
『山城国風土記』逸文には、賀茂建角身命(賀茂別雷命の祖父)と伊可古夜日女(祖母)と玉依日売(母)をあわせて三柱の神を祀ったのが「三井社」と書かれており、これが下鴨神社の原型だったとみられています。
御手洗川にかかる輪橋(そりはし)。
この季節は青葉だけで分かりにくいのですが、輪橋の左側にある梅の木が、尾形光琳《紅白梅図屏風》のモデルになった「光琳の梅」だそうです。
早春の梅の季節にまた訪れたいですね。
御手洗川に橋のように架かる橋殿。
御蔭祭で御神宝を奉安する御殿です。
細殿(細殿御所)は、歴代天皇の行幸や法王・上皇の御幸の安在所として使われました。
また、鴨社歌会などもここで行われたそうです。
土用の丑の日の前後に足を浸して穢れを祓う「御手洗祭」や、矢を奪い合う「矢取神事」がおこなわれる御手洗池。
御手洗池からは今なお清らかな泉が湧き出て、御手洗川となって流れています。
修学旅行生や参拝者たちが、水みくじ(水に浸すと文字が浮かび上がるおみくじ)に夢中になっていました。
御祭神は、井泉の神さま・瀬織津姫命。
御手洗社の水は、葵祭の斎王代のお清めの聖水としても使われています。
お社の横の手水鉢にも水が注がれていたので、両手で受けてみると、化粧水のように少しとろみのある水でした。お肌も清められてキレイになれるかな?(笑)
緑のなかの朱塗りの鳥居と輪橋、そして楼門。どこから見ても絵になります。
出雲井於神社の「井於」とは「川のほとり」のこと。つまり、出雲井於神社とは「出雲郷の賀茂川のほとりに祀られた神社」という意味だそうです。
御祭神は、建速須佐之男命。
このお社が「比良木社」とも呼ばれるのは、お社の周辺に何を植えても、ヒイラギの葉のようにギザギザになるからだといわれています。
これが「なんでも柊」という京の七不思議のひとつだそうです。
神社の周辺の植木を見てみると、たしかに葉がギザギザ……と思ったら、茶の木なので葉っぱはたいていギザギザしているからどうなのかな?
神社の解説によると、古来、お祭りにお茶は薬草としてお供えされることから、お茶の神さまとしても信仰されているそうです。
下鴨神社に参拝したとは、近くの賀茂みたらし茶屋でひと息入れることにしました(つづく)。